インドの写真 [インド旅行]
インド旅行からかれこれ半年以上、
漸くアルバムの整理を終えることが出来ました。
とりあえず記憶にあるうちブログにさえマトメてしまえば
語尾を変えたり余計な戯言カットしてコメントにするのは後でも出来るので
ついつい一旦放置してしまうという…。
今回はアルバムに使う写真をプリントに出すのも早かったのでしよね。
台紙に貼るものとりあえず貼ったケド、
この段階で停滞してしちゃいますた。
まあ、この段階に至るまでも大変だなのだけれど。。
私の旅行写真、
一軍、二軍、三軍、、、えと、どこまででしょうかね、ランク分けされております。
一軍はおっ、これいいワ♪で、引き延ばすの。
二軍は一般的サイズのプリント。
三軍はL判より小さいサイズ、またはA4サイズの光沢紙に並べてでのおうちプリント、
食べ物なんかの場合が多いでしょうか。
四軍はとりあえずプリントはしたけど、アルバムに貼りきれず却下…で、
五軍はもうプリントせずディスクにお蔵入り。
あ、その下にブレてたり暗かったり人物が目をつぶってたり超ブサイクだったり、何じゃこりゃ? 削除~的なのも。
今時台紙に貼る人ってどれだけいるかしら、
でもポケットタイプだとコメントが…。
ブログ本にするとか? あぁ、でも印刷が良くないし、後から修正きかないし。
それより家でA4にプリントして綴じちゃおうかしら、鮮やかは鮮やかだけど、劣化はどうなのかしら。
等々考えるのですが、
結局今回も進化はないまま。
でも、でもっ…、
アルバム完成後、データのディスク移管前に今回はフォトブックを作ってみることにしました!
これが…、思った以上にいいっっ…!
横長A4判サイズなのですが、
今回アルバム用に引き延ばしたのは2Lサイズまでだったので、
一層細部まで良く見えるっ。
や~~んっ、プロの写真集みたい~♪♪
しかも2冊作ったので、後の方のレイアウトを鉄ヲに見てもらった時
「前のよりこっちの方が尖ってるな」なんてコメントもらえたしっ。
うふふっ♪ こんな感じ♡
タイトル、「マハール」と「ハヴェーリー」だす。
黒バックにしてしまったので、これは指紋が付きそう…と、
クリア―なブックカバーを探したのですがみつけられなくて、
ブック・コートというかフィルムを貼ることにいたしました。
早速到着、は、速っっ。(深夜にアマゾンに注文したら今日の昼過ぎ)
しかも、箱でかっっ。(右の袋はA4のコピー用紙)
写真集の中身はこんなカンジ~。
「マハール」(宮殿)編
「ハヴェーリー」(貴族とか富豪なんかの邸宅)編
丁度半額キャンペーン期間中だったこともあり、2冊に分けて注文しました。
20頁なのであっという間に終わるケド、一冊にまとめても確か料金は同じくらい。
あ、上限が36頁だったので選んだ写真を載せきれなかったのでしたっけね。
編集で写真を割り込ませたり却下するとき、アルバムと一緒で
そこから作業を終えている箇所まで一枚ずつ訂正していかないといけないから
頁が少ない方が楽というのもありまし。
さぁ~、これでインドのフォルダー、ディスクに移し替えることができるワと思ったケド、
今年はこれで年賀状でしかね。
インドの感想 [インド旅行]
笑って頂いて結構だワw
サワサワと上っ面をナデナデしただけのインド旅行、
これでインドに行ったつもりでいるのかと言われればその通りw
健康第一、安全第一、そしてちょっと妖しげなゴテゴテ感満載の装飾的な建物がすっきー♪
…まぁそんなわたくしのインド旅行の感想といえば、、、
ユーラシア大陸は繋がっている―
アジアの一員と思っていたけれど、
「極東」って…、ホントにホントに地の果て。
グリニッジ標準の人々にとって、中近東の先が印度でそのまたずっと先に極東が位置するのでしね。
インドって一応南アジアではあるのだけれど、
わたくしがイメージするアジア…平たい顔族とは違い、
睫毛バチバチの濃い顔族、
アーリア人の侵入以来、血統的にも文化的にも中東系のウェイトが高い印象。
仏教発生の地、♪ガンダ~ラ、ガンダ~ラ ということで、なっかまーとか思っていたけれど、
仏教徒はそれほど多くないらしいし、
タージ・マハール始めイスラム風な建物が多いのは、
てっきりイスラム系のなんちゃら朝とかなんとか帝国の影響下にあることが長かったせいだと思っていたけれど、
「バーラト」の国名を検索した際に、「インド」も「ヒンドゥー」も「インダス川」に起因していると知り、
もっともっと根っこの深いところで、中東色が色濃く伝承されているのだと理解することに。
そしてそれより何より、実際観光地で建物を見て感じたのは…、
インドとアルハンブラって繋がっている。。。
驚くほどすっごく近い雰囲気がありました。
船とらくだが繋いだのかしら。
そしてシルクロードは中国までも続き…、
思い出したのは世界史で習った「大秦国王安敦」w
それりゃあユーラシア大陸って地続き、
だから猿岩石も旅出来たのでしよね。
情報(特にネット)で知るインドはカオスというか正直ちょっと怖い?
ホントに色んな面を包括しているのだと思います。
国民性やら社会状況、衣食住、音楽、宗教、歴史、IT、も~経済、文化諸々・・
色々過ぎて、深過ぎて、触れることすら憚られるような気が(やっぱ特に社会構造?)。
クラノスケの同僚の方も入れ違いのタイミングで偶然同じインドに行かれたそうなのだけれど、
この方たちはヴァーラーナスィー(ベナレス)へ回られたのだとか。
わたくしにはそんな勇気すらないワ。
そういやサモードで着ようと用意していったのはミラーワークとかアリワークと呼ばれる
インドのビーズやスパンコール刺繍の一張羅でした。
丁度一年くらい前、インドのビーズ刺繍の体験教室に行ってみて入会には至らなかったことがあるのですが、
その理由は…ステキだしやるとすっごく嵌るだろうと思ったものの、
これは身体を痛めるワークだと思ったからでw
首・肩・腰痛は言うまでもなく、やり過ぎは吐き気とか眼精疲労にも及び…(あくまで想像)
でも、インドでは手仕事で量産されてる訳なのでしよね~。。。
大体世界のびっくり人間って(唐突過ぎですが)インドか中国でしよね。米粒に字を書くとか爪伸ばしっぱなしとか。
びっくり人間でない一般人でも、あの刺繍をやってのけれらる根気と体力って凄いと思います。
わたくしなんかとてもとても。
ということで、語るも無理なら体験も無理!ww
上っ面なでなで~だけで旅行を終えたわたくしが今思うことといえば、
浅はかの極みで結構、
「プラナカン」「開平洋楼」「ハヴェーリー」で、フォトブック作りたいな~♪
でも、そしたら「サモード・パレス」も、
うーん、だったら「ラッフルズ」「E&O」「ソフィテル・メトロポール(ハノイ)」も…って。
い、いえ、この世にはもっと未知なるゴテゴテが存在するかもしれないワ。
そういや、今春は宝塚歌劇創立100周年ということで、
NHK大阪放送局では地上波でも過去の「ベルばら」の放送が。
思わず初回を見てしまいましたが、
あのスパンコールきらきらの衣装&装置のゴテゴテ感って、インドに通じるものがあるカモw
かの名は [インド旅行]
小学生の頃、不思議に思ってココ父に尋ねてみたことがあったワ。
「アメリカなのになんで西インド諸島?」
「それは最初に発見した人がインドと間違ったから」
それから延々何百年もそのままで続いているのだとしたら何という大きな過ち。
どうしてみんな訂正しないのだろうというのが当時の感想でしたでしょうか。
インドといえばわりと幼い頃から馴染の国で、
(やっぱカレーのパッケージとかで擦り込まれていた?)
でもってアメリカといえば日本人にとっては外国を象徴するかのような国。
(子供心にも
なんでみんな外国といえば老いも若きもまずアメリカなんだろうと不満に思っていたのだけれど、
それはその頃人口の多くを構成する日本人が「オキュパイド ジャパン」を経験したからというのは、
後々解ること)
幼児の頃から馴染みのある「インディアン」も
一人の人物の間違いによって
何の縁も所縁もない呼称で延々と呼ばれ続けていると思うと…。
それだけでなく、「インドシナ」に「インドネシア」、
これもやっぱりインドに起因するものだと解ったら…、
一体どこまで大ざっぱなんだっっ??
(因みに「インドシナ」はインド+チャイナ 「インドネシア」はインド+諸島)
まぁ、日本も昔は「三国一の花嫁」という言い回しがあるくらいで、
外国=唐・天竺という概念しかなかったのでしょうけど。
そんなこんなで、てっきり
「インド」という日本での呼称も英語の「インディア」に起因するもので、
日本が「ジャパン」とか「ジャポネ」とか呼ばれてるのと同じようなものだと理解しておりました。
なので旅行中、V氏に「ヒンディー語で国名は何と?」と尋ねてみると、
答えは「バーラト」。
へーっ、きいたことない~!
(氏も「ニッポン」とか「ニホン」は初耳だったらしい)
…で、帰国。
折角教えてもらったのに、すっかり忘れててこの度検索してみたのですが。
インドといえば四大文明の一つインダス文明。
文化関連以外でわりとしっかり記憶に残っている出来事と言えば「アーリア人の侵入」。
検索でヒットしたとある節によれば、インディアの国名は
BC1500年頃にやってきたアーリア人が
インダス川流域を「シンドゥー」または「ヒンディー(古ペルシャ語)」と呼んだことに由来、
シンドゥーSindhuというのは河の意だけれど、普通はインダス河を指すのだそうな。
インダスがインディアに訛ったという説も見受けられれば、
ヒンディーが古代ギリシア語・ラテン語・オランダ語を経由して英語のインディアになったというのも。
いずれにしろ、「インディア」の語源が「インダス」であることは間違いないようで。
ついでにウィキによれば、
>漢字表記は印度。印度の語は7世紀以降中国で使用が始まったもので、その以前は天竺、また身毒という表記もある。サンスクリット語の"Sindhu"を音写した「印度」の表記を提唱したのは三蔵玄奘という
とのこと。(これって「身毒丸」となんか関係があるのでそか?)
ありり、「インディア」って「ジャパン」みたいにまるっきり他所の人がつけた呼称ではなく、
今や身内どころか主流派に近い国民が呼び習わしたのが英語っぽく感じられてるという訳なのでしかね。
ボンベイがムンバイ、カルカッタがコルカタになるぐらいだから、
今に国名も「バーラト」に変わるのかしらと思ったけれど、そんな必要もないようで。
まあ、3500年このかたインディアできてるのですものね。
日本における「インド」は、他の欧米諸国の地名と同じく
ただ「インディア」を漢字に置き換えたものとばかり思っておりましたが、
中国語表記「印度」が下地となっていたというのが、ちょっと意外。
経度でいうと世界の半分にインドに類する名が点在してる訳なのだから、
彼の名の由来、忘れずにおきたいものだワ。(すぐ忘れちゃいそうだケド)
因みに「バーラト」の方は、
>古代インドの伝説の王バラタに由来
とか、
インド・アーリア人のバラタ族に起因するもので
>インドは「バラタ族の国」を正統とする歴史観を表明している
とのこと。
>「マハーバーラタ」は「バラタ族の物語」といった意
との記述もありますた。
デリー&帰国 [インド旅行]
最後にスウィーツ屋さんに寄りました。
お土産を買うのが目的だったのだけれど、
ケーキがあまりにキューティだったので…。
レインボーなスポンジ!
ほぼ自分用のクッキー♪
鉄ヲへのおみや♪
クラノスケの職場へ♪
額縁のような箱がスゴイ~♪♪
(「箱、もらって帰ってもいいですか?」ときかれたそうな)
お店の名前
一週間ぶりの再訪で、最早懐かしい気さえするデリーの街にお別れして、空港へ。
お名残り惜しいですワん。
V氏にもとってもお世話になりましたm(__)m
最後に空港でルピーを消費。
ダージリンの紅茶とチャイ、チョコレート。
ダージリン…、実はなんで人気なのかわかんないという。
個人的にはアッサムみたいなのがお好み。
チャイは…、粉末のインスタントかと思ったら違ってて、
うっ、この横着者のわたくしが、ミルクで煮出す→濾すという作業を経てまで飲むか?! と、心配したケド、
どこかのサイトで、茶袋に入れレンジでチンというやり方を知って実行。
(受け皿を用意して様子を見ながらね)
これは楽チン~♪
最後に残った小銭でハーゲンダッツのアイスを買うことにしたのだけれど、
コーンに盛ってもらってから、税金がプラスされることが判り・・、
「きゃー、ゴメンなさい~~(><)、ないワ、丁度しか持ってなかったの」
みたいなことになったのだけど、
あちらは単に値段が表示と違うことへのクレームみたいに思われたようで
「これは税金分なんです」みたいな説明を。
「違うの~、ルピーがないのー」…と、思ったら、
クラノスケが「あ、あったー!」と、どっかから出してきてホッ―3
そういやおトイレおばさんの分もキープしておかなきゃならなかったのでしよねw
元々01:25発のフライトだったのだけれど、更に遅れたので
搭乗口のリクライニングチェアみたいなので寝てたのだケド、眠ってる間に出発しないか不安だったワ。
何時のに乗るから起こしてねって首からプレート下げたかったくらいw
とりあえず、経由地成田に到着し、
自宅と同じTOTOのウォシュレットを見たときはなんかホッとしましたw
空港のお蕎麦もおいしかったワ。
成田では特に雪が降ってる感じでもなかったのですが、
知らなかっただけで、荒天の合間を縫ってのラッキーな発着だったようで…。
その前も後も、降雪&積雪で列島各地は大変なことに。
夜に到着した大阪もしるい雪道で、時折雪が舞っておりました。
いずれもなんっかインドっぽくってキュートなホテルの石鹸。
黄色いのはアルシザー・マハール。やっぱそれらしい~w
ロイヤル・ヘリテイジ・ハヴェーリーのシャンプーは「ハニー・バニラ」と書かれていて、
あま~いぃかおり~でした♪
20代の頃って、ヨーロッパ行くのが遠くて遠くて退屈で仕方ありませんでした。
10時間を超えるフライトってホント気が遠くなりそう…、
なのでインド行くならヨーロッパ行けるやん、
みたいな思いがインドを遠ざけることにもなっていたのですが。
今回思ったのは、「10時間、大したことない」。
映画とか見られるし、なんかここ数年乗り物乗ると寝てしまう体質になったようで。
いえ、それよりも、子供の頃って数十分時間電車に乗るのもすっごーく苦痛だった覚えがありますが、
高校生くらいになるとさほどでもなくなり…、
長じるにつれて時間が短く感じられるという感覚が加速してきたのでしょうかね。
そんなこともありーの、
大したハプニングやアクシデントもなく過ごせたこともありーので、
結論、
も一回行ってみた~い。
秋のウダイプール希望ー。
再びデリー [インド旅行]
帰国便の出発は深夜なのだけれど、余裕を持ってお昼頃アグラを出発。
アグラ城のお猿さん。
インドではあちこちでよくみかけたけど、
カメラを持っていかれないよう隠し持つばかりだったので、最後に一枚。
よく居たのはこの種類のと、顔が黒いの。
ロバと思ったケド、ポニー?
路上でランチでしょうか。
ヤムナー河原の野良牛?
アグラからデリーへの高速道路は私設有料道路なのだとか。
一泊したジャイピー・パレスのグループ企業というかジャイピー・コンツェルンによるもののようです。
高い(らしい)から殆ど他に車がいなーい。
郵便局行ったりした後、
またまたシロダーラを体験にww
場所はル・メリディアンの「スリー・グレースィズ」
わざわざ旅行社に寄ってオシャレ男子を同乗させ、案内&手続きしてくださったワ。
こちらの施設では全体的に薄暗い照明でなんだかそれらしき雰囲気が。
着替えをしたら初めにクラノスケと一緒にヒーリング・ルームのようなところでヨガの真似ぽいことをして
(如来っぽい顔つきの女の子の指導で、胡坐で印を結び呼吸を整えるみたいな)
その後それぞれ個室へ。
使い捨ておパンツみたいなの一枚になって、全身をくまなくマッサージされ、
頭に油をたらたらたらーー--‐‐‐‐(あんまり記憶がない)
1時間コースということだったのだけれど、サウナやシャワーも使ってるうちに2時間ぐらい?
V氏はいつも「ノープロブレム」とおっしゃったケド、待たせてごめちーごめちー、でした。
最後の食事は「サラヴァナ・バワン」で南インド料理♪
海外にもチェーン展開してるような有名店なのですが、
気軽な雰囲気で、昨夜のお店同様、スタッフがテキパキ。
ステレオタイプすぎて恥ずかしいくらいなのですが、ミールズとマサラ・ドーサをオーダー。
マサラ・ドーサは予想外の大きさで、
普通ならお皿を交換するところを、席を替えて食べました。
定食(ミールズ)
スープから具材の煮込みまでカレー色のはすべてカレー味なのだけど、
バリエーションがあって美味~~♪♪
白いのはダヒー(ヨーグルト ご飯に混ぜて食べる?)とパチャディ(ヨーグルト味の野菜)
四角い固形物は確かデザートで、緑のは野菜のすりおろしみたいなの。
左 中が空洞のプーリー
右 パパル(おせんべい)とご飯
マサラ・ドーサ、
写真では伝わらないですが、軽く30cmはあろうかと…。
左はお口直しの香辛料(多分フェンネル)
チャイをオーダーしたらなくって、代わりにだされたのがこれ。
チャイをあっさりしたような感じでチャイより美味しかったかも。
デザートにはクルフィ(卵なしのミルク・練乳・アーモンドのアイスクリーム)を頂きました。
個人的にはこってりドロッな北インド料理より、
あっさりサラサラな印象の南インド料理がお好みということが判りました。
ヴェジタリアン料理店ということだったのですが、
あ、そうだっけ?というほどの旨さ。
インド料理ってほぼカレーばっかと思ってましたが、奥深そう~。
アグラ城 [インド旅行]
ブランチを済ませてチェック・アウト後、デリーに向かうことに。
と、その前に最後の観光地アグラ城に入場。
街中にある結構壮大なお城で、ゲート前は観光客でいっぱい。
アマル・シン門
アクバリー門
高い塀に挟まれた坂を上りきると、広い敷地が広がります。
ジャハン・ギール宮殿
カース・マハールとアングリー・バーグ
天井の左端に残るわずかな彩に往時の面影が(黄色いのは金で青・赤は宝石?)。
ヤムナー川とタージ・マハールを遠望。
頭だけ見えてるムサンマン・ブルジ(囚われの塔)
ディワニ・アーム(一般謁見の間)
ディワニ・カース(貴賓接見の間)
アグラの有名なお土産は、建物と同様の技術を生かして作られる大理石の工芸品で、
やっぱり工房見学に連れて行かれたワ。
やっす~~いのしか買えなかったけど、象嵌細工の緻密さを考えると高価な理由は十分理解できまし。
旅行中、日本人に見られない経験は度々あるのですが、今回はホント色々。
サモードで「タイワン?」と声掛けられたのは台湾からのホテル滞在客が多いからと思われるのですが、
アンベール城では日本人と言っても頑なに「いいえ、チャイナでしょ」と。
反対に香港とか台湾とか嘘をついても絶対日本人と言われることもあったし、
一度「ネパール?」と尋ねられたことも。
お城を出た後は、駐車場でやっぱり売り子さんたちの烈しい攻勢に遭うことになったのですが、
この時はガイド本。
財布の紐が固いと定評の「コリアン」と言っておくと、諦めてもらい易いというのをどこかで読んだので、
日本国旗マークのガイド本を差し出してくるのを「ノー、コリア」と断わり続けていたら、
ホントにコリアンのを出してきた人がいたので
「うっ、しまった」と言葉に詰まったのですが、
マークが大韓民国旗ではなかったから
「ディッス イズ ノースコリア! イティイズ ノット サウスコリア!」とか何とか
訳のわからんムチャぶりしてしまったワ。
タージ・マハール 3 [インド旅行]
一夜明けて、早朝から(といってもホテル7時出発)昨夜と同じシプグラームのチケット売り場へ。
タージ・マハールの開場は日没と並んで美しいとされる日の出の時刻で、
この時期は7時前ぐらいでしたでしょうか。
東門前にはすでにボディー・チェックと持ち物のX線検査を受ける長い行列が。
男女別なのだけれど、この時は男性の列の方が圧倒的に時間がかかっておりました。
左右対称に配置されてるので確証がないケド、多分東門。
メイン・ゲート。
多分西門ではないかと。
入場~。
モスク。
タージ・マハルを挟んで対象の位置にも全くそっくりな外観の迎賓館があるけれど、
入場に靴カバーが必要なのはこちらだけ。
なので見学するならタージと続けて見た方が。
タージ・マハルから見たメイン・ゲート。
やっぱりこちらも四分庭園(チャハル・バーグ)になっていて、
中央の水路に交差する水路(交差している地点が舞台の様に高くなっている)の端に
博物館(西)と音楽堂(東)が。
時間がなかったので内部はパス。
迎賓館。
タージと同じ様な装飾がなされているものの
周囲がみんな赤い建物なのは、タージの白を際立たせるため?
こうして見てみると
ビザンティンの系譜を感じずにはおれないような。
(といっても思い浮かべられるのはヴェネチアのサン・マルコ寺院とかイスタンブールのモスク、ニコライ堂みたいな建物ぐらいなのだけれど)
アグラで一泊 [インド旅行]
夜のタージ・マハル訪問の前に、お楽しみの夕食は「ピンチ・オブ・スパイス」で。
黒をベースにしたモダンなインテリアで、スタイリッシュではあるけれど、
カジュアルな雰囲気のくつろげる人気のお店♪
つき出しのナッツ類もカレー味ww スティック野菜とディップも美味しかった~♪
ムルグ・マライ・マバーブは生クリームに漬け込んだチキンの焼き物。
スライス・オニオンのサラダはヨーグルト風味だっけ?
ベジタブル春巻きってどんなの?と思って注文したケド、不思議とコクが。
ライスはビリヤーニ。
デザートはアイスクリームと
グラブジャムン、煮詰めたミルクに小麦粉を混ぜた揚げもののシロップ浸け。
生野菜がいくつかありましたが、
もぉ明日帰国だからお腹壊してもいいや~!で食べちまったぐらい、
どれもこれも、メチャうま♪レストランでした。
世界一甘いとの噂も目にしたグラブジャムンは、特別甘い訳でもなく、
ババとかサヴァラン好きとしては、ストレートに美味しく頂けました♡ こんなの大好きです。
そういえば、旅行中はとうとうタンドリー・チキンは食べなかったけど、
V氏はよく「ラジャスタンの夏は暑い、タンドリー・チキンになってしまう!」とおっしゃってましたワね。
この時期、ラジャスタンではウェディング・シーズン(気候がいいから)。
旅行中、何度も準備がなされているのを見ました。
というのも、披露宴は一般的には夜に行われることが多いようで。
こちらの結婚式は何日もセレモニーがあり、ホントに派手に執り行われるようです。
車窓から見た披露宴会場の入り口。
判りづらいケド、花飾り付きの馬車。
因みにV氏も、わたくしたちのツアーが終わった数日後に御子息の結婚を控えられているということで、
一度はご自宅にご招待されたのだけど(インド人は家にお客を迎えるのが好きらしい)、
このクソ忙しい時にそんなことしたら奥様にブチ切れられるワwと思ってお断りしました。
(恐らく新婦側の方が何十倍も負担が大きいらしいのですが、
それでも旅行中何度も奥様から準備のことであれやこれやと電話がかかってきていたワ
遠くからやってくる沢山の親類も自宅に宿泊させるのですって…
わたくしなら髪振り乱して準備の末最後は爆発!ww)
ホテルはジャイピー・パレス。
日本人もよく利用するらしい大型ホテルですが、
低層で緑も多く、ゆったりした造りで…って、広すぎて、ロビーまでの道のりをとうとう理解できないままでした。
チェック・インもいくつかあるカウンター・テーブルを挟み座ってなされるのですが、
日本人はダブルではなくツイン・ルームが標準と思われてるみたいです。
瀟洒なロビー。
スタッフのお姉さんもサリーに黒いジャケットみたいな姿で、とても都会的で格好よかった!
客室から。
ここがインドだというのを忘れるくらいの世界照準なホテルで
うっかり歯ブラシを水道水で濡らしてしまいました。
でも、ホテルのエントランスでは空港並みの荷物チェックがあったし、
チェック・アウトの際、荷物を自分で運ぼうとしたら、
たまたま向かいの部屋に居たスタッフが
「そのまま置いておいて下さい。後ほどスタッフがお運びします」みたいなことをおっしゃるので
お任せしてたら、チェック・アウトを済ませてしばらくしても届かなくて
結局自分で取りに戻ったという。
やっぱりインド~。
ホテル内に水が流れていたり、
あちこちでお花が飾られ癒しスポットとなっています。
ウェルカム・スウィーツのタルトとクッキー。
ワールド・クラスな味で、夜にしっかり頂きましたw
こちらはローカル・スィーツ、山羊の乳で作った…ウソウソ、ただの石鹸。
早朝タージ・マハール見学を終えた後のブランチ。
(ホントは朝食としてゼリー飲料みたいなのを食してた)
左 ウェスタンにやっぱり具全部入りオムレツとベーコンウィンナー&ベイクドベジタブル
右 インディアンなカレー、プラーオとパンみたいの
左 中が空洞のプーリーとイドリー
右 まさしく「おかゆ」なんだけどカウンターでの表示はなんかビミョウに間違われてた
乳製品もフルーツも食べたw
タージ・マハール 2 [インド旅行]
タージ・マハール、
行っても行かなくてもよかったのですけどねぇ、
なんで行くのスイッチはいってしまったかというと…、
旅行日程上、満月の「タージ・マハール」が見れる可能性があることが判ったから。
おぉ、それならば、是非とも…、ということで、
最初のプランを反対回りにして、この日しかないというタイミングで
なんとかほぼ満月のタージ・マハル鑑賞に漕ぎつけることが出来ました。
(満月と前後2日だけ事前申込制で夜間見学ができる)
やっぱりV氏には駐車場で待っていてもらって、
少し離れたチケット売り場というか集合場所シプグラームへ。
一度前を通り、車内からで「ここです」と場所を教えられ、
その後駐車場から一般道をテクテク歩いて行く訳ですが、
方向音痴な人だったりしたらきっと車まで戻れないと思うwと思ったことがしばしば。
わたくしたち、信頼されてるんでそかね。
タージ・マハールの入場は持ちこむ物に色々制限があって結構面倒。
パスポートも要るし、空港以上に厳しいセキュリティ・チェックがあるため、わたくしたちなんか
ほんっとに必要なもの以外、ホテルや車に置いてきたのだけれど。
インドに着いたばかりっぽい
(なぜなら元気だからw ゴールデン・トライアングルを周るツアーは一般的には弾丸)
ほとんど年配の方たちばかりの日本人の団体さんがやって来られたのだけれど、
一人のじいちゃんが、明らかにそれはイカンだろうというものを持ちこんでて、
ガイド氏が「言ったぢゃないですか~!(一応笑顔)」と、あきれていたワww
きっとツアーが終わるまでにこのガイド氏は何度も「なんで言うこときいてないんですか」と
心の中でブチ切れることになるであろうことは想像に難くありませんでした。
が、ここはインド。
何事も予想通りに運ぶのが珍しい国。
インドVS言うことをきいていない年寄り…、う~ん、どっちが勝つのか。
胃に穴が開いたり、頭がハゲそうな方にはオススメ出来ない旅行先だワ。
時間になるとミニバスに乗って、東門まで移動します。
更に歩いてタージ・マハール正門へ。
ライトアップされてる訳ではないので、
明るく加工してもこの程度の月明かりだけでの鑑賞。
なので、ほとんど真っ暗でどうにもならないので、修正・加工。
色を変えてみました。
三脚なしの夜景モード撮影でこれはまぁ頑張った方かと。
意外とスマフォなんかの方が勝手にキレイに撮れるのかもしれません。
(それとも液晶が明るいだけ?)
時間になると笛を吹かれて追い出されます。
(50人ぐらいずつグループに分かれて時間指定制の見学)
またまたミニバスに乗ってチケット売り場まで。
タージ・マハールが見えるアグラ一の超豪華ホテル
ジ・オベロイ・アマールヴィラス・アグラというのがあるのですが、
このホテルに宿泊の方は、門とチケット売り場の間で途中下車することになります。
なんて贅沢な立地~。
タージ・マハール 1 [インド旅行]
世界的世界遺産? タージ・マハール。
どうしても…っていう訳ではなかったけれど、やっぱり行ってみましたw
しかも3回もww
最初は日没に合わせてヤムナー川対岸から。
ここはタージ・マハールの敷地でもなんでもないんだけど、
観光バスが止まり、お店ややっぱり周遊用のラクダも。
とりあえずのビュー・ポイントは日本だとブルー・シートが使われているであろう自家製自宅のおぢちゃんたちが集うような場所。
雨期になると水量も増えるのでしょうか。
夕陽をじっと待っていても暇だったので、
金網で仕切られている公式ビュー・ポイントの「マターブ・バーグ」の方へも回ってみました。
確か入場料100ルピー。
整形式の緑地公園で、ところどころに発掘された遺構らしきものが見え隠れしています。
閉園は日没で、時間になるとピーピー笛を吹かれ、情け容赦なく追い出されますw
ジャイプールからアグラへ [インド旅行]
アンベール城見学の後は、一路世界的観光地アグラへ。
結局、悪路だったのは初日だけで、この日は長距離移動だったにもかかわらず
それほど負担には感じられませんでした。
とはいえ、幹線道路沿いでも、ちょっと停車すると売り子さんが寄ってきて、
アグラの近くでは猿使いのおじいさんまでもが。
確かこのルート上で、珍しくトンネルを通った気がするだけれど、
V氏に日本には海底トンネルがあるという話をしたら
「嘘でしょ」と、冗談のように受け取られたワw
島と島を繋ぐ橋があるというのも信じられなかったみたいで。
日本は島で形成されている国だ、いっぱい島があるからと説明しておいたのだけれど、
想像して頂けたでしょうか。
これは幹線道路のゲート。前を走るのはタクシー?
インドらしい風景~。
運転席の前には飾りとかお守り?の類が。
V氏は敬虔なヒンズー教徒らしく、お寺の前を通る時はいつも何事かを唱えてらしたワ。
世界遺産ファテープル・シークリーに立ち寄るツアーが多いのだけど、わたくしたちはパス。
バーが見えるところを見ると、踏切?
それにしても牛の多さ。
オートリクシャーがいっぱい。
だだっ広い砂地だケド、道路らしい?!
ランチはジャイプールとアグラの真ん中辺にある幹線道路沿いのレストランで。
ツアー・バスもみんな立ち寄るようなカンジのお店で、
オープン・エアのスペースには西洋人の団体らしきお客さんが。
入口には大道芸人らしき二人組が居て、
あ、あのコスチュームはどちらかのブログで見たことある…、みんなここに寄るのねって場所。
最早定番のトマトスープとバター・チキン。
「チキン・カレー」という名ではないのはなぜに? 日本人にとってはカレーとしか。
ナンは…薄目でチャパティみたいな形状だったワ。
旅行中、ほとんどホテル以外でトイレに行かなかったわたくしたちですが、
こちらでお借りしようとしたところ、おトイレおばさんが。
入り口でUターンしてクラノスケのところにお金を取りに戻りましたw
中国系住民の多い国やイタリアなんかでも何度か経験しているのだけれど、
やっぱ慣れないというかちょっと抵抗が。
結局この後、翌日のドライブインと帰国前の空港でもお世話になることになったのですが、
若干慣れた?
慣習上職業選択が制限される社会でのれっきとした生業と考えると
水道の蛇口は自分で捻るけど、手を洗い終わればペーパータオルを差し出して水を止めてくれるという
有料サービスを受けるというのはそれはそれでありというか、便利とも思えるようにも。
けれども、出費は痛いし、学校でも家庭でも「自分のことは自分で」の教育方針の中で育つと
自分で出来る身の回りのことを人にお任せするって何だか罪悪感みたいなのが付きまとうし、
やっぱ旅行中だけのことで十分ですわよね。
あぁ、わたくしってパンピーな日本人w
アグラでは郵便局に寄ったのだけれど、窓口は閑散として、働いている感じでもなく…。
業務は終わりであさって来てくれ? はぁ?!
「ストライク」?!「ストライク」って何っっ???
どうやら「ストライキ」のことみたいでした。
アンベール城 2 [インド旅行]
貴賓謁見の間、ディワニ・カース。
アラム・バーグとよばれる幾何学模様が美しい中庭(これも四分庭園らしい)と
右側建物、王が後宮の女性と余暇を過ごしたスク・ニワス(またはスク・マハル 歓喜の間)。
スク・ニワスの壁装飾
庭を挟んだ向かいがジャイ・マンディール(勝利の間)、
壁や天井を見事なミラー・ワークで飾られたホールは
シーシュ・マハル(鏡の宮殿)として知られているとか。
ジャス・マンディール(栄光の間)と呼ばれる2階部分があったらしいのだけれど、
見落としたワ・・orz
特に思い入れがあった訳ではなかったケド、
一見しただけではまばゆい紋様の構造が理解できないのでとりあえず写真に記録。
アンベール城から見上げたジャイガル要塞(勝利の城)。
万里の長城のように城壁が。
ゼセーナ・マハルは王のハレムだったところ。
帰りはチャンド・ポール(月の門)から出てV氏の待つ駐車場に向かいます。
…で、インドで初めて烈しいセールスの洗礼に遭いました。
一つ目は象に乗った写真。
業者のお兄さんがルート上に待ち構えていて勝手に撮影。
一枚くらいなら買うつもりだったので、笑顔で手を振って撮られてたのだけれど、
7枚セットでミニアルバム付き。
お城の見学を終えて出てくるのを待ち構えていて、販売攻勢がスタートしました。
憶えてないけどすっごく高値で、そんなに沢山要らない~!状態で、はい、さようなら。
(別の高い位置から撮影してた背景の良いお兄さんの写真がこの先待ってるだろうから、
このお兄さんから買わなくてもいいや的気持ちも多分にあったし)
駐車場に到着するまでの間何度か現れて、
「アイ ドント ウォンツー ア ロット オフ ピクチャーズ! オンリー ワン ピース!」みたいなことを繰り返してたでしょうかww
お客は写真に写ってる当事者しかいないものだから売る方も必死。
最終的には「アルバムなしの全部で5ドル」に落ち着きました。
(インドの物価がどんなものかも一つ理解できないでいる上、IT大国に於けるデジカメ周辺資材の値段って想像もつかなかったので、自分が買いたい値段で折り合いをつけたつもりなのだけれど、買いたたいたのかカモになったのかは不明だワ)
その後、駐車場に着く直前にもう一人のカメラマンも現れて、こちらはあっさり最初から全部で5ドル。
大勢の観光客の中からいつ現れるかわかんない対象を見つけ出すって凄いと思う~。
駐車場周辺では子供から大人まで売り子さんたちの攻勢が。
車に乗ってしまってる窓の外からでもキラキラボールペンが「全部で10ドル」。
ど、どうして買うと思える訳~?
それともとりあえず訴えてみるか的感覚??
うーん、うーん、、、
そんなに車に纏わりついちゃ危ないよ~と思いつつ、
当り屋なんて成り立たない国柄だろうなぁと思ったり(自己責任で何でも片づけられそう)。
頭ん中じゅうで、「う・る・さ・い!」&「し・つ・こ・い!」の文字が跳ねておりました。
アンベール城 1 [インド旅行]
ジャイプール名物ラッシー・ワラーのラッシー。
コーンのように見えるのは素焼きのカップなのだケド、使い捨て。
(んー、紙コップに入れ替えて飲みました)
朝摂って元気モリモリになるのだとか。
かなりの量なので半分こで。
ボリュームの割にはあっさりすっきりで美味しく頂きました♪
人工湖のマオタ湖とアンベール城
アンベール城は元は砦。
11世紀からこの地を支配していた王(ラージプート族のカチュワーハー家)によって、
1592年から百数十年の歳月をかけて豪華な宮殿に改築されたのだとか。
この間、この地はアンベール公国の首都だったのですが、
水不足や人口増が原因で、完成後すぐの1727年、11㎞離れたジャイプールに遷都することに。
この公国の、重臣且つ貴族となった王子の一人に、遺贈されたのが彼の地、サモードとかなんとか。
(違ったらごめちー)
お城へは象のタクシーで上がります。
この時間帯は順番待ちの列もさほど長くなかったような。
ジャレーブ・チョウク(中庭)。
象のタクシーに乗って右側、スーラジポール(太陽の門)から入場し、
帰りは徒歩でチャンドポール(月の門)から退場。
多分裏側から撮ったライオン門(スィン・ポール)
ディワーネ・アーム(一般謁見の間)
周辺の遺構。多分ハマム(浴場)?
こうやって見るとつくづくアルハンブラに通じるものが。
ガネーシャ門。
世界で最も美しい門とのこと。
ソーハグ・マンディール。
ガネーシャ門の2階。
ロイヤル・ヘリテイジ・ハヴェーリー [インド旅行]
目玉観光地を回ってお土産物屋さんに案内されてるうちに、日も傾いてきました。
この日の宿泊はジャイプール市内のロイヤル・ヘリテイジ・ハヴェーリー。
主要観光地からはちょっと離れた街中で、
ほんっとに一般的というか普通というか、
住民相手の商店なんかが並んでいる道路をちょっと入ったところ。
有名な人がプロデュースした感のある小さなホテルでした。
デザインもコンセプトもオシャレさん、みたいな。
個人的にはスタイリッシュ感を押し出してくるのはお好みではないのですが、
頑張ってるのは頑張ってるというか、好きな人にはたまんないブティック(デザイナーズ)・ホテルかと。
そういえば、チェックインの手続きはマネージャーの部屋みたいなところで、
宿泊者が自身でパソコン入力するシステムでした。(単に手抜きなだけなのかも)
多分内装は一部屋ずつ違ってる?
建築パーツも凝っておりまし。
客室同士はすぐ隣接してますが、コテージみたいに低層の建物が庭にいくつか。
部屋の出入り口はガラスの扉のみなのだけれど、
これが…非常に施錠にコツを要する扉で…! 何度もスタッフのお世話になったというw
(会得した頃にはチェック・アウトでした)
ショート・ブレッドみたいなのも置かれていて、美味しかった♪
インド・テイストの装飾タイル。
こちらはレストランに力を入れているというか自慢らしく、
かがり火なんか焚かれて準備がなされているようでしたが、
この日は胃を休めるつもりで、持参してた日本食を食べることにしました。
(評判が良いようだっただけに残念!)
…で、休める以外にも食品を消費するという目的もあったのですが、
もってきていた豚汁のレトルトが激マズ…ww
やっぱり朝早く目が覚めたのでホテルを探索。
珍しい色のブーゲンビリア
この日は早発ちだったので、朝ご飯は一番のり。
やっぱり定番のオムレツをお願い。
パンを食べてから更にフレンチ・トーストとバナナ・パンケーキ。
バナナ・パンケーキはうーんと、うーんと…、生焼けでした。
パン・デ・ローみたいな食べ物と思っていいのかしら??
この後、部屋に戻って荷物(食品)の整理をしたのだけれど、
激マズ豚汁がもう1パック…。
「これ、置いていこっか?」
「うん、うん」
「これ(フルーツポンチみたいなの)もまだいっぱいあるから置いてく?」
「それ持って帰っても食べるよ」
「けど、これ(豚汁)だけ置いて行ったら、日本のレトルト食品の名折れやで
名誉のために他のんも置いて行った方が…(爆)」
食べた人が「異文化の味は判らん!」で片づけられたことを願わずにはおりませんw
ジャイプール 2 [インド旅行]
風の宮殿―ハワー・マハル。
ピンク・シティと呼ばれるジャイプールを代表する観光施設で、
旧市街の他の建物と同じピンク色(というかテラコッタ色?)の宮殿。
苦労したのは…この宮殿の入り口が判らなかったこと!
V氏から車で走行中教えてもらっていた、この表通りに面したチケット売り場への入り口は
とりあえず見つけることは出来たものの、ホントに一商店のような構えで(上の写真の並び)、
しかもチケット売り場への矢印はあれども窓口はどこ??状態。
ここでいいのかしら~?と覗いたところはただのお寺だったし、
全然関係ないオフィスとかも。
漸く裏通りに通り抜けたところで窓口を発見。
宮殿正面からは通りを大きな交差点まで行って二度90度に折れる感じで
このファサードの真裏に回り込んだ辺りが入口になっておりました。
(しかもこの角、駐車場みたいなのを兼ねていて歩きづらい~)
…ということで、入場。
この写真を撮ってる辺りでわたくし、スマホを操る怪しい人に狙われてたみたい?
ドラッグのセールスマンみたいなヘンな人が近寄ろうとしてたとクラノスケが言うのだけれど。
建物の裏側も似た感じの造り。
5階建てとのことで、高いとこOKな人は、結構楽しめます♪
上るに連れ周辺がよく見渡せるように。
表通りとは反対側(裏側)に、シティ・パレスに隣接するジャンタル・マンタルが。
天文台のジャンタル・マンタルはパスどした。
特にお好みでもない上、時間もなかったし、
ちょっとは一応世界遺産だから見ておいた方がいいかしらとの思いもあったのですが、
シティ・パレスの後から行ったジャンタル・マンタルで同施設との割引共通入場券が存在することを知って、
「見なくてもいいよねー」に決まりましたw
小窓を風が通り抜けるので風の宮殿?
高貴な女性たちはここから町の様子を覗き見してたのだとか。
周辺はバザールみたいな感じで、ゆっくり見られればそれなりに楽しかったのでしょうが、
そんな余裕はとてもとても…。
とにかく道を歩くだけで必死。
(特に道路の横断! 外国に来ると、日本国内って色々交通法律煩いケド歩行者が保護されてる国だと
つくづく感じずにはいられません。)
うーん、なんでしょう。
渡印以来、喧騒って初体験だったのでしよね。
デリーでは広い車道を車に乗って移動して、広大な観光地に入場するだけ。
その後はずっと田舎続きだったものだから、こんなに人や車の多いアクティブなところって
なんか慣れないというか緊張しぱなっしでした。
別に車がクラクション鳴らしながら信号のない道を縦横無尽に走ってるからといって
特に事故が多発してたり、意味なく歩道に突っ込んできたりする訳でもなく、
腕を掴まれてやれ買えだの何だの捲し立てられる訳でもなく…、
ほんっとに、騒々しいってだけなのですが、なんかキンチョーしたワ。
旧市街ってゴミゴミした印象だったけど、別に荒れてそうな感じでもないし
歩いているのは普通っぽい人だし。
こうやって後から写真でみる限りでは他のヨーロッパやアジアの旧市街とも
それほど変わんないような。
風の宮殿の入り口を探してちょっと迷った交差点も
実は「バリー・チョウパル」とよばれるバングルやテキスタイル等の
女性向きのバザールだったなんて、その時は気が付かず…。
「ガイドブックでも紹介されていた一般観光客みんなが歩く場所」というのを事前にインプットしていたら
もちっと安心して歩けたでしょうね。
うぅっ、片腕に10個ずつぐらい、細目のバングル買いたいと思ってたんですケドね~。(予算500円くらい)
この後、V氏オススメの店にショッピングに連れて行ってもらったのですが、
立派なのしかなかったワww
勝手に警戒し過ぎて残念な街歩きとなってしまいますた。
(目的地に行くことしか眼中になかったものだから損しちゃったワ)
ジャイプール 1 [インド旅行]
正午頃、サモード・パレスを出発、ジャイプールへ向かいます。
お名残り惜しかったワ(涙)
ジャイプールは7つの門のある大きな町、州都です。
インドには「○○プール(プル)」という地名が多いけれど、
「プール」というのは「城壁に囲まれた町」という意味なのだとか。
普通に象が歩いていてます。
(デリーでも見たケド一頭だけ)
これはアンベール城近くの観光用の象さん、仕事終えて帰宅中。
ジャイプール郊外の水の宮殿(ジャル・マハル)
V氏がここでもラクダに乗って湖を周れると教えてくれました。
サモード村がステキ過ぎたのでもう十分と思い興味はなかったのですが、
幹線道路沿いの公園になっていて、あちこちで露天でお土産物が売られてるようなザ・ローカル観光地ってカンジのこちら側と違って、対岸はひょっとしたらイイ感じだったのかもしれません。
ジャイプールの町に入ってから、レストランへ寄りましたが、やっぱりオーダーしたのはコーラと中華w
手前のスープはフリーズドライの野菜スープみたいなカンジで右奥のはトマトケチャップ味の強い酢豚みたいなのを想像して頂ければ…w 焼きそばは普通でした。周囲のインド人のお客は普通に美味しそうなインド料理を美味しそうに食べておられる風に見うけられましたが。
ジャイプールの三大観光施設は隣接してます。
いつものパターン通り、駐車場でV氏に待っていてもらって勝手に観光、なのだけれど
この時は入口が判りづらくちょこっと苦労しました。
記憶と矢印を頼りに頑張りましたがw
因みに他のインドの方々も同様だと思われるのですが、
V氏は駐車場のことを「パルキン」と発音されます。
最初は「パルキン?パルキン…??」状態だったのですが、慣れると判り易い…つか
ネイティブの米英人よりずっとききとり易いですw
まずは、シティ・パレス。
ディーワーニ・カース(貴賓謁見の間)。
ディーワーニ・カースとムバーラク・マハルの間にあるラージェーンドラ門。
ムバーラク・マハルは豪華衣装等の展示や華麗なホールを見学できる展示館で、内部は撮影禁止。
奥に見えるのが現在もマハラジャが住むというチャンドラ・マハル(月の宮殿)。
チャンドラ・マハルの前庭には中庭には四季を表す四つの門があって、
冬はバラ、春は緑、夏は蓮、そして秋は孔雀がモチーフに。
シティ・パレスと外の一般道の間にある門。
正直、色々な難関が立ちふさがる場所でもあります。
動物やらお土産物屋さんの売り込みやら、生き倒れ?と見紛う人まで。
中でも一番大変なのは道路の横断でしょうか。
最早命がけですw
サモード・パレスの客室 [インド旅行]
最後にわたくしの泊った客室でし。
マンダワ・ハヴェーリーほどではないものの、そこそこコワイ通路の突き当たりが
客室のエントランス。
宮殿ホテルに南京錠と網戸は定番のようです。
扉を入って左、そして上の写真で言うところの手前、に向かって進むように部屋は続いています。
次の間(すぐ左、角の部屋)にはソファー。
デザイン性が高いというかスタイリッシュというか…、
実はもう少しこってこてのクラシックな部屋がお好みだったりするのだけれどww
その次の間(最初の写真手前、なので通路沿い)は寝室。
場合によってはこちらからも直接出入りできるかも。
ベッドルームの奥にもマハラジャちっくなソファー。
入口からだと、その手前がクローゼットになっていて、
その奥にバス&別途シャワールーム。
こちらのホテルは全く湯量の心配はなかったけれど、
バスタブが大きすぎてなかなかお湯が溜まりません。
サモードパレスの始まりは16世紀に建てられた砦で、
19世紀初頭にジャイプール藩王国の首相を務めるほどの貴族によって絢爛豪華な宮殿に建て替えられたのだとか。
サモード・パレスの朝 [インド旅行]
またまた順番は前後します。
やっぱり早く目が覚めたので一人でホテルを探索。
インドと日本では3時間半の時差があるので、日本時間としては遅いぐらいなのですが。
一旦部屋に戻り、昨夜と同じ場所で朝ご飯。
今回はとってもインド色の強い朝ご飯をセレクトしてみました。
左 ドーナツみたいのはこれも食べてみてねみたいな感じでサーブされたような。
右 具材オールミックスオムレツは定番のペラペラ。
左 多分スパイシーな炊き込みご飯プラーオとサモサ?
両方 白いのは優しい味だったと記憶しています。中華まんの皮のシロップ浸けみたいなイメージ?
左 クラノスケのチョコレートケーキ。
右 パンは美味しそうだったのですが、わたくしこの日はインディアン・スタイル一本だったのでしよね。
左 ナッツ色々とチーズ色々。
右 見るからに辛そうなチリ・ソースがたっぷり。
朝ご飯の後、テラス状になっている一番上の建物に上ってみると…屋上にプールが!
ダルバールホールの屋根とプール。
こんなところに日時計? インド人はホント天文がお好きなようで。
奥の中庭は白を基調にした割とあっさりテイストです。
雀?
大プールの方へ回ってみました。
ドアの大きさから天井がどれだけ高いか伝わるかと。
実はこの建物がダルバール・ホール。
ホールとプールは直接行き来が出来るようです。
わたくし、ダリアの花の色って好きなのでしよ。
エントランスへも。
山上にはキャッスル。
建物の全容がようやく解ってきたらお別れって…悲しいワ。。
続 魅惑の館 [インド旅行]
関西で魅惑の…と言えば、「魅惑の変身」?
20年以上続いたテレビ番組の1コーナーで、
番組観覧のお客さんの一人をプロ(コテコテ色の強い)の手によって豪華衣装(+ウィッグ)に変身させ、
更にその商品をプレゼントするという…。
きいただけではとても魅惑的な企画ではあるのだけれど、
もらった衣装を街着として活用したお嬢さんはおそらくいなかったのではないだろうかと。。。
(ある意味クラクラしそうなファッションだったワ)
魅惑繋がりで、なんだかついつい門違いのものを連想してしまいましたが、
鏡と宝石を張り巡らした鏡の間(シシュ・マハル)は、
まさしく人の心を魅了し、惑わさんばかりのまばゆさ。
め、目が…!
マンガみたいに目に星がチカチカ輝きそう。
(わたくし的には某少女マンガのどケチ経理士ジェイムズ君の図がw)
ピンクのホールの片側の二階に鏡と宝石で飾られた部屋が並びます。
(同じマンガのKGB工作員ミーシャが、「搾取された人民の声がきこえてきそうだー!」と叫びそうだワ)
ターバン氏が「ここから撮りなさい」と開けてくれた窓から。
もちろんターバン氏ともカタコトの英語でしかコミュニケーションがとれないわたくしたちなのですが、
いくつか定番の重要撮影ポイントがあるらしく、
立つ場所を指示ししたり、自らシャッターを押したりしながら、
鏡越しやら窓から覗いている写真やらを撮ってサービスして下さいました。
「数年前、私の撮った写真が日本の雑誌に載ったのだ」
「ええっ、それってフィガロでは?」
「雑誌の名前は知らない」
みたいな会話も。
2008年のフィガロ・ジャポンが「インドで極楽!」、
2011年のフィガロ・ヴォヤージュが「インドとベトナムへ」というタイトルで特集されてたのを知った時、
(他にも「婦人画報」なんかで取り上げられてみたい)
本屋さんには足が遠のいているわたくしとしては
不覚を取ったと見損ねたことを後悔するしかなかったのですが、
片方のみ出発の少し前図書館で閲覧することが出来ました。
なので何だか親しみを覚えずにはいられなかった訳で…。
(勝手にフィガロに決めつけっw)
殿方達の宴を見下ろす御婦人方もまたこちらでパーティーされてた…いえ、されてるのかも。(現在でもやっぱり同様?)
魅惑の館 [インド旅行]
一夜明け、この日はゆっくりめの出発(チェック・アウトがお昼)、
見落としがあってはいけない…!と、ホテル・ツアーをお願いしました。
ターバンのおぢちゃんが連れて行ってくれた妖しの館は
差し込む朝の光を受け、昨夜とはまた違った輝きが。
ダルバールホール(durbar hall)と呼ばれてるらしく、
durbarを翻訳サイトに放り込んだら、「インド土侯の宮廷」と出るところがあり、
マハラジャの宮廷広間という具合でしょうか。
ターバン氏によると
壁の赤い石部分はルビー(だったと思うケド万に一つぐらいでガーネットだったかも←忘れたw)だとか。
確か昨夜は丸テーブルが並べられてた筈。
一々配置を入れ替えるのでしね。た~いへん。
扉を出ると
外のテラスへ。
プールまで一続きで宴会できそうです。
表に出ることのない女性はこの窓から下を覗くのだとか。
そういえば帰国後丁度テレビのクイズで
結婚式に一番お金をかける国は?―インド!
と、放送されておりました。
中流の家庭でもゲスト数百人は当たり前。
こんなところで披露宴を行うクラスになると、
ホール以外にも、レストラン、庭、プール全部使っても間に合わないくらいかもしれません。
続 妖しの館 [インド旅行]
「ねぇねぇすっごいとこ見つけちゃった~~~」
部屋に戻り、クラノスケに報告。
「ディナー行く前にちょっと覗いて行こ♪」
…と、その前に、
中庭を挟んで部屋の向かいにあるラウンジみたいなところにもGO~
この後、先ほど見つけた妖しの部屋へも。
「ねーっ、凄いでしょー!」
入ってはいけないところへ紛れ込んだワクワク感♪
この後、ドレスの裾を翻し、シャンデリアにつかまってターザンさながらに縦横無尽の大活劇が…ナイナイwww
妖しの館 [インド旅行]
順番が前後しますが…、
ディナーの前、一人でホテルを探検中
奥の中庭に、秘密(っぽい?)の入口発見。
あら、ここは何かしら…?
くねくねとどこに通じているのか判らない廊下を進んでみると…
何やら怪しい気配。。ここは何の部屋?
螺鈿や珊瑚で飾られた竜宮城もまたかくのごとしとも思われる趣の回廊を更に奥に進めば…
ひぇぇ~~~!
な、なんですのん、 ここはっ…?!
これから秘密の饗宴でも繰り広げられるのかしら…
さんざめく酔客の間を、打ち鳴らされる太鼓のリズムに乗って
ストールに風を孕ませ、煌びやかな装身具を鳴らしながら魅惑的な視線ですり抜ける踊り子…。
ファンファーレと共に運ばれてきたメイン・ディッシュの
銀のクロシュが開けられるとそこには…、きゃあぁぁ~~~!
あ、これは魔宮映画の影響でしねw
こちらのホールには挑発的な踊り子より、ノーブルなお姫様が相応しそうでし
サモード・パレスの夜 2 [インド旅行]
ディナーはどこで…?
部屋の下の中庭ではパペット・ショウの用意がなされ、
てっきりここかと思っていたら、
「ディナーですか?この奥です」と声をかけられ…。
次の中庭にもテーブルが用意されていたのだけれど、人気はなく…。
更に「この奥です」と言われたのだけれど、
こちらのテーブルでもないようで(とあるパッケージのグループ客向け?)…。
またまたテーブルが並ぶテラスを降りて行くと…、
やっとレストランに到着♪
すっごくハイ・グレードなお料理でした。
大都会のレストラン並み~。
元々夕・朝食付きの宿泊だったので、セット・メニューが出てくるのかと思ってたのだけれど、
席に着くとメニューが渡され、好きなの選んだらいいのかしら?と勝手に解釈。
火を通していないものなのに大丈夫か、と心配しつつも、
誘惑に勝てず「アーモンドのガスパチョ」(写真左)をオーダー。
滅茶オシャレで美味しかった♪ あったかいホウレン草のスープもマイルド~♡
イタリアンなメニューも結構あって、ペンネのなんちゃらと、
「辛くないですか?」と尋ねつつもう一品ぐらい注文したら、
オーダー外のカレーとナン&ご飯&デザートも。
実はセット・メニューの客だったと、途中で気づいたのかしら?と勝手に解釈。
あるいは好きなものをセレクトする以外はホテル側にお任せとか?
どんなシステムかはわからないままだったケド、とにかく美味しかったから何でもいい~~♪♪♪
右手前のカレーみたいなのは恐らくダール、
スープのような豆カレー(インドのみそ汁のようなものとか)。
豆カレーがキライなので、自分では絶対注文しない皿の筈だったのだけれど、
これは美味しかった! イメージ覆されますた。
ナフキンに包まれたふんわりナンと超細長インディカ米。
写真の色がイマイチなんだケド、
大皿に乗ったピンクのババロア(ピンク部分だけで直径15cmくらいはあったかと)みたいなのと
ブリュレみたいの。
キュートで美味しい~♡
スタッフは品格を備えながらもフレンドリー。
洗練された物腰で…、やっぱりターバンを被せたがるwww
食事も終盤に差し掛かったころ、外では花火の打ち上がる音が。
スタッフが窓を開けるとみんなそちらへ移動してしばし花火タイム。
(あんまり見えなかったのだケド)
日常を忘れさせられる一時でございました。
サモード・パレスの夜 1 [インド旅行]
らくだに乗ったりしているうちに日も傾いてきて…。
ディナーにはまだ時間があったので一人でホテルを探索。
部屋の向かい。右側の簾が豪華ラウンジ。
真ん中のフロアの左角が泊った部屋。網戸の建て付けがも一つw
最上階のどこか。
奥の中庭の上だったかと。
暗くなってきたし人気もなかったけれど、表にも出てみました。
とはいえまだ外にいくつか門があって、ここもお庭で敷地内。
ゲートをくぐると最初の中庭があり、ここも客室が囲んでいたと記憶しておりまし。
階段は花のガーランド。
真ん中がレセプションやラウンジ、宿泊する部屋のある中庭。
客室(扉3ヶ所分くらい)に灯りが点いてるからクラノスケが居るのね。
写真は「こんなんだったワね~」とにかく記録に残しておきたいと、あれもこれもと画面に押し込む派。
じっくり腰を落ち着けて撮る訳ではないし、絞り?露光?なんですか、それ状態。
AFかシーンモードをクリクリするのが関の山でしょうか。
でもこんなシチュエーションになると、いいカメラを伴いたくなりまし。
実は写真部の鉄ヲはニコンのデジ一を操り、
先だっても値段がカメラの3倍ほどするレンズをジジババからゲットン。
友人と8日かけて東北一周しておりました。
彼のカメラだとキレイに撮れるのかしら…と思いつつ、
どうせマニュアル撮影なんて出来ないし、
三脚持ち歩くなんて邪魔だし、
乾電池併用できないなんて、バッテリー、海外で充電する際何を用意すりゃいいのよ、
等々立ちはだかるハードルに、悶々。。
…鉄ヲ、撮ってくれ…!
(指示通りにね、とはいえ、関心のないモノ撮るのってへたくそなのよね)
ということで、三脚なしのモード撮影でこれは、「まぁよう撮ってるんちゃう?」(by鉄ヲ)だったかも。
♪どんどこどん、どんどこ…感が伝わりますでしょうか・・?
嗚呼、サモード・パレス [インド旅行]
ジャイプール郊外の宮殿ホテル、
ジャイプールがパレスホテルだらけだったのでその中で検討するのに一生懸命で
全くのノーマークだったのですが、
旅行会社から送られてきたプランを見てリンクのHPに飛んでみると…、
ドンドコドンドコと太鼓の音が聞こえんばかりのワクワク感ですっかり昂揚。
こ、これぞパレスホテル…!
最初の階段を上ったところで出迎えてくれるラジャスタン・スタイルのターバンのおぢちゃんが
歓迎の印に赤い粉のビンディーを額につけ、マリーゴールドのレイをかけてくれます。
テープのように見えるのは花弁で描かれたインフィオラータみたいなの。
山に囲まれたロケーションもたまりません♪
わたくしたちが泊る部屋は上の画像のも一つ奥の中庭に面した山側。
向かいの簾の奥には…。
うおぉっ…!
ついでに翌日撮った分も。
目が眩まんばかりの、ペイントとミラーワーク!
サモード [インド旅行]
昼過ぎ、去りがたかったナワルガルを出発して、
整備された道路をラジャスタンの州都ジャイプール方面へ。
シェカワティよりぐっと緑が豊かになり、
あちこちに山城が目につくようになります。
この日宿泊するのはサモード。
サモード・パレスという世界的にも評価の高い宮殿ホテルがお目当て。
ジャイプールから40㎞ほどしか離れてないというのに…
そこには二つの現世から隔離された別世界が存在し、
エトランゼには忘れ難い滞在となりました。
その一つ目…、ラクダでサモード一周♪
チェックインの際にアルシザーのホテル同様ジープ・ツアー等を勧められたのですが、
ホテルのHPを見たとき目についたキャメル・サファリに興味があって尋ねてみると、
15分・2人で1650(+税で2000弱)ルピー?
「えっ、高っ…」(ホントは50分と言われてたのよね)
うぅ、ラクダなんて鳥取砂丘でも乗れたのではないの?と、ちょろっと後悔の念も沸き上がったのですが、
思い出深い旅のハイライトとなることに。
♪ レッツ ライドォン ♪♪♪
ご覧の通り、人の頭より高いところに座っております。
(乗る時はらくだに跪いてもらった上、横に足台を置いてもらい、数人がかりだった。)
高い~、怖い~~、しかも揺れる~~~。
その上前に乗る人は手綱やバーではなくポールのようなものを握るだけ、
しっかり離さないよう言われたので、当初は写真を撮るどころではありませんでした。
サモードは村と言ったほうが相応しいような小さな小さな町。
(…と思ったら人口8000人? グーグルマップを見たら村域は周辺部にも広がるようで)
城門を出たら石畳の通りを先ほど入ってきた町のゲート方面へ向かいます。
石畳が珍しい…というより、石畳がすでに観光ポイントのようなもの?
子供だけでなく大人までもが「ハロー、ハロー」と声をかけてきて一躍時の人?
中にはバングルなどお土産物を勧めてくる人や
ギブミーチョコレート的にばらまきおやつ目当ての子供もいたかもしれないけれど
残念ながら手ぶら。
てっきりこのまま町のゲートまで行くのかと思いきや手前で左折。
住宅や色々なお店の点在するやや静かな通りを抜けたかと思うと、
町のメインストリートらしき通りに出ました。
道路より一段高くなったテラスのような土間がそのまま仕事場で、
張り出した庇の下では野菜や電化製品はじめ色んなモノが売られていたり
修理や料理、金打ちがなされていたり…。
フイゴがあったかどうかは憶えていないのだけれど、鍛冶屋さんのようなおじさんたちを見ていると
連想したのは「もののけ姫」か「千と千尋の神隠し」の釜爺か…。
「ま、まるでジブリ映画の世界みたい。。。」
な、なら食べ物を貪ると豚になっちまうの、わたくしたち?!
とまでは思い至りはしませんでしたが、
とにかく現世から隔絶された中~近世と殆ど変らないであろう世界が…!
(う~~、写真に残しておきたかった)
町を通過すると外の通りに出て、
もう戻るのかと思いきや、そこを横断してどんどん町から離れ畑や野原の中の一本道へ。
揺れるし手を離さないよう言われてたので当初は撮ってもらうばかりだったのですが、
慣れてくるとサブで持って来たコンデジのシャッターもなんとか片手で押せるようになり…。
高いー、怖いー、揺れるー!
道沿いに何軒か家も点在し、庭というか畑に囲まれた屋外で主婦らしき人が調理している姿も。
数十年前までは日本の田舎もこんなカンジだったのだろうなぁ~…と。
ホテルは山城の麓。
右手前は何かの畑。
電線が写ってるから電気は来てるんでそね。
ところどころで水飲み休憩。
ぼぉっとよそ見していると、顔に枝がかぶさってくるw
月の砂漠を~♪ ラクダといえばイメージこれぐらいw
U字に歩いて広い道まで戻ってきました。
集落の門。
門はいくつか。
ポニー?
元の石畳の道。
ホテルの外の門。
坂を上がって元の場所へ。
結局終わってみるとゆうに1時間を超えるツアーでした。2~3㎞はあったかと。
ラクダ使いのおぢちゃん、お疲れ様でした。
貴方もお疲れ様。
同行して英語で説明したり写真を撮ってくれたもう一人のあんちゃんは
てっきりホテルと契約してるアシスタントなんだと思っていたのだけれど、
チップを渡そうとしたら断られ、細密画のファイルを出してきて買ってくれと。
そういえばアーティストだと言っておられたワね…。
う~ん、う~~ん、買う気はなかったのだけれど、
見てしまったが最後、キャメル・ライドが楽しかったので思い出の記念になるかと
安いのを購入させて頂きましたw
その辺に居たロバくん。
ロバは手近な運送用の家畜のようです。
ホテルのゲート。
もう一つの別世界が広がります。
続きは…かなり続くざんす~ww
ナワルガルのハヴェーリー 4 [インド旅行]
続きです。
向かって右側の扉を開くと…
またまた広がる華麗な世界。
二階のテラスは最初の中庭の屋上と繋がっていて、左の壁はゲートの上。
部屋はギャラリーになっていて、インド各地の民族衣装や宝飾品、建物の模型等々が展示されています。
こちらはターバンの部屋。
インドの人の特性として、写真に写りたがる他に
ターバンを被せたがるというのがww
旅行中、クラノスケも何度か頭に載せられておりました。
もちろんこちらでもサザエのようなのが。
わたくしもここでは真ん中の人形みたいなのを載せられ、
―若井小づえ?! w(故人ですが)
あっと言う間のナワルガル滞在で、V氏の待つ駐車場に戻ります。
ナワルガルの町はどっちを向いてもハヴェーリーだらけ。
名前のわからないものや、朽ちるにまかせているものも多いのだけれど。
(これは上2枚と同じ、ポダール・ハヴェーリーの道を挟んで隣のもの)
似てるケド、どこかのハヴェーリー。
おんなじの。
これまた別のハヴェーリー。
反対側から。
これもまたどこかの。
最早もう何がなにやら…
普通に商店や庶民の家もあったと思うのだけれど、
写真に撮ってるのは旦那衆(ダンナシ)の家といったところでしょうか。
どこまで近寄れるか? やっぱちょっと怖い(黒は特に闘牛用のようなイメージが)
町角の井戸。
車は普通にハーヴェリーの間を走り抜けます。
アルシザー、マンダワ、ジュンジュヌー、ナワルガル、
シェカワティ地方の4つの町を覗き見しましたが、どれか一つにも一回行けるとしたら、ナワルガル。
アルシザーは素朴な小さな田舎町でした。
宮殿ホテルは雇用に貢献する立派な観光資源でしょうが、一般住民は観光客との接点もなく、
ただただそこには日常に沿った生活があるといったカンジ。
飾り気のない素のままの暮らしがあり、それはそれで味わい深いものがありました。
(町の1%ぐらいしか見てない印象だケド)
ジュンジュヌーは都会の喧騒を感じさせる町でした。
観光や、仕事・学校目的で地元の人々が集い賑わう暮らしの場といった印象。
マンダワは小さな商店や屋台で活気づいている市場のような町で、
(そういう道しか車が入れないのと、日曜だったからかも)
ハヴェーリーは生活感いっぱいの現在使用中か廃屋みたいなののどっちか。
地元の人との接点がそんなにあった訳ではないのですが、
お土産物を売ったり、観光が産業として成り立ち始めてる様子でした。
それでも管理人が出払っていたり、どこにいるのか判らなかったり、
ここは入場できるのか? と、個人では立ち入りがためらわれたりする佇まいのアバウトさに、
集客にやっきになってたり、整備し過ぎてる感がなくて
かろうじてまだ自然体な感じが残されているような気もするのですが、時間の問題かも…。
(なのでポツネンと個人でやって来ると、目当てのハヴェーリーの前に辿りつけてもどうやって入ったらいいのかわからず、戸惑うことになる可能性も。
とりあえず人に声をかけまくるインド流に慣れれば大したハードルではないかもしれないけれど、とにかくあちこちハヴェーリーだらけなので、行き当たったとこに入ればいいや~ぐらいの感覚でいいかと?)
ナワルガルは、ソフィスティケイトされた町…と言ったら言い過ぎかもしれないけれど、
知的というか洗練された感のある颯爽とした地方都市でした。
(見学したハヴェーリーが修復・ミュージアム化されていることや、
ガイドしてくれたイケメン兄ちゃんが紳士だったことが影響してるのかもしれませんがw)
剥落したハヴェーリーの壁の昔栄えた感が、何だかノスタルジックというか
日本の小京都と呼ばれる町に通じるような感覚があり、落ち着けます。
(ベースの漆喰や土壁の色も日本的だし)
その一方で、バイクや荷車、バスまでが町中を走り抜け、活況感一杯。
市井の人々が普通に社会生活を営んでる感が高いというか
外国人観光客に対してさらっとした扱いの町だったような。
(単にしつこいセールスや物乞いに遭遇しなかっただけのことかも)
大都会のようなスーツにブリーフケースのような人が闊歩してたりする訳ではありませんが、
今でもハヴェーリーに引けをとらないような邸宅を建てられるくらいの産業が成り立ち、
大学や若者の雇用の場も充実しているような印象を受けました。
ハヴェーリーは壮麗なものが多く、
写真を見ても非常に似通っていて、ついついおんなじかと見誤るぐらいです。
なんとか荒廃を止めて欲しいとは思うものの、
修復してピカピカになり過ぎるのもなんだかなぁ…と、やや複雑な気持ち?w
歩くたびに足が埋まりそうになるサラサラの砂、
顔料の落とされた漆喰壁や、むき出しの土壁、
神話と西洋世界が入り混じった壁画やステンドグラス…。
思い返すたび、もう一度ゆっくり滞在したいと思わずにはいられない今日この頃です。
ナワルガルのハヴェーリー 3 [インド旅行]
ポダール・ハヴェーリー(ドクター・ラムナート・エー・ポダール・ハヴェーリー) Dr.Ramnath A.Podar Haveli Museum(Anandilal Podar Haveliとも)
今までみた中で一番大きく立派なハヴェーリー。
エントランスからして整備されてる感が。。
ゲートの内側。
上部。
その天井。
やっぱりすぐに第一の中庭があって、これはその左側。(楽器ギャラリーらしい)
同じく正面と右側。
写真下にはLATE DR.RAMNATH JI A. PODARと書かれていて、
1902年にこのハヴェーリーを建てたAnandilal Podar医師かと。
扉の上には「ラジャスタン・リビング・スタイル・ギャラリー」との札が。
キレ~~♪
中に入るとお馴染のスタイル。
バイタク(baithak)とよばれる、男子オンリーのおもてなし&ビジネスルーム。
定番の手動ファン、クッション付きのベッドというかマットに加え
こちらでは煙草盆ならぬ喫煙パイプ(水煙草?)が備えられておりました。
一応ポーズを撮って写真を撮るのがお約束みたい?
(ここではわたくしも一応撮られてみましたw)
ナワルガルのハヴェーリー 2 [インド旅行]
町を移動中に見た寺院(寺院跡?)、
特に有名寺院でもなさそうなのだけれどイイ感じです。
喉から胸にかけての皮膚がフリルみたい。
次に訪れたのはそこからすぐの
モラルカ・ハヴェ-リー Kamal Morarka Haveli Museum
こちらも先のバグトーン・ハヴェーリーと同じような構造で、門をくぐると一つ目の中庭があり、
脇に主が客人をもてなす部屋があります。
こちらは奥に向かって右側で、またも布団に餅のようなクッション。
赤い幕は手動の扇風機。
正面には奥への扉が。
奥の中庭に植えられてるのは女神ラクシュミーの化身といわれている「トゥルスィーの樹」。
西洋をモチーフにしたフレスコ画の中には「ジーザス」の肖像も。
何となくウィリアム・モリスの色調っぽく感じられるのはわたくしだけ?
隣の建物との間の中庭。
こちらは玄関の上の部屋。
表側の中庭が見下ろせ、道路を挟んた向かいにはさっきのお寺の側面が。
振り向くと後方には居住部分側。
丁度応接間の上に当たる辺りでしょうか。
門の上から。
楽しそうな二人w
たまたまここにはガイドをしてくれたお兄さんのお友達がいて、
クラノスケに一緒に写真を撮るようフレンドリーに話しかけてきて
応接間で一緒に寛ぎポーズでおさまっていましたw
ナワルガルのハヴェーリー 1 [インド旅行]
アルシザーから10~20㎞南下して、ジュンシュヌーで南南西に曲がるとマンダワ方面で、
南西に向かうとナワルガルってカンジの位置関係でしょうか。
(その道をずーっと150㎞ほど南下するとジャイプールに至ります)
この近辺では結構大きい町のナワルガル。
あっちにもこっちにもハヴェーリーらしき建物が…いえ、建物ほぼハヴェーリー?
新しい家屋でも豪華ハヴェーリーのような趣があり、「見せて下さい~」とお願いしたくなるような。
今回は車を止める都合もあって、
V氏の提案でガイドを雇い、徒歩でいくつかのハヴェーリーを回ることになりました。
チロッと写ってるのがV氏がその辺でスカウトしたガイドの兄ちゃん。
オマー・シャリフの時代ならハリウッド・スターになりそうなアーリア系のイケメン。
(当節なら褐色のディカプリオ?)
バグトン・キー・ハヴェーリー Bhagton Ki Choti Haveli
門(↑ の写真)をくぐると、うぉ…!って迫力で、格調高い建物が現れました。
2階の軒下の絵、何をしてるのかわかんないケド、西洋人。
中の建物の扉の周りも西洋人だらけ。
扉を開けると中庭を囲むようにして部屋が並ぶお馴染の世界が広がります。
柱は細いですが3階建てです。
2階に上ってみると、先ほどくぐった門が眼下に。
門を入って右側が主たちの接客の場。
餅のようなクッションが並びます。
扉の内側が家族の居住空間になっていて、色々な部屋が。
色ガラスと西洋の人物や景色を描いた壁画が目立ちます。