お土産 [マカオ・開平]
大きな声では言えませんが…、
マカオってあんまり買う物ないのでしよね。
スーパーなんか行っても、日本のお菓子そのままで、しかも値段が高かったりするし、
有名お土産物屋チェーンがあちこちのメジャー観光地にあって、
大陸からのお客さまがわんさとお買い上げ。
ローカル色の強いのは足を伸ばしてジモティ相手のお店を探さないといけない?
そんななか、
珍しくオリジナリティを感じられるショップが。
ビーズ・バッグ♪
2個だと安いっていうから買ったケド…、使う予定は全くないのでしよね。
わはは~、外では防犯上タスキ掛けバッグしか使わないから、溜まる一方だワ。
でも、カワイイ~♪
お店のお兄さんが自分で作られてるそうで、
ちゃんと縫いつけてあるからビーズが取れないとか、丈夫だとか説明しながら
バッグ同士をゴシゴシ擦り合せてくれたワ(や、やらんでいい~w)。
そうそう!前にご紹介したおじいちゃんのタイル店のタイルは、
コルクの裏貼りが完了して立派に鍋敷きとして活躍しております。
箱がキッチュで買ってしまったのだけれど、ドライ・ジンジャー?
ドライ・フルーツと思ったら生姜だけで、それもなんだか漢方薬のような…。
で、結局空港でチョコなんぞを。
チョコクッキーを買ったのは初めてでした。
右上のチョコ3箱で左下のトート・バッグがオマケに付いてきたワ。
乾麺も買いたかったのだけれど、町では買えず、
空港で箱入りのを発見。
右のはチキン・ラーメン風に麺に味が付いていて、
左のは更に粉末スープ付き。
元々鮑の味とか解らないので、これでいいのかどうか…w
お後、腸詰とかレトルト・スープとか調味料とか…。
有名お土産用お菓子チェーンの…。
すっごく気になってどうしても買いたかったのが「バナナカステラ」
どう見ても求肥や餅系にしか思えないんだケド、
食べたらカステラとか?!
と、どこがカステラなのか検証してみたかったのですが、
やっぱり見た目通りでした。
なんでカステラ???
(因みに下から三番目の画像のXO醤の左下のもカステラと書かれてました。。)
タイパ島を巡る [マカオ・開平]
コタイ地区から池に沿って長い「動く歩道」を北上したら…、いえ、ひょっとしたら池ではなく海?
ラスベガス風のカジノ・リゾートが並ぶコタイ地区が埋め立て地と知り、
埋め残された部分が池として形状を残しているのではないかという見解に。
動く歩道もつい最近出来たもののようだし。
中華風なのかポルトガル風なのか判別のつきにくい段々の柵が並ぶ十字公園、
上にちらっと見えるのがカルモ教会…かな?
(後から回ったカルモ教会は修復工事中で入場不可でした)
綺麗にお色直しされた良く似た良く似たポルトガル風の建物が5棟ばかり並びますが、
タイパ・ハウス・ミュージアム、タイパ・コロアネ歴史博物館等として使われています。
マカオでは珍しく入場にチケット購入の必要があったところ。
市政公園内の小さな噴水。なんかポルトガルちっく。
町並みもポルトガルちっく。ファドがきこえてきそうだワ。
街灯に何だか整備され杉感が…。
コロアネ島に比べると、観光客も多く、
お土産物屋や飲食店の並ぶ小さなメイン・ストリートの官也街も押すな押すなの人だかりでした。
でも、一番活況を呈していたのはポークチョップ・バーガーの有名店、大利来記。
うぅ、食べてみたかったけど、
この後、デザートのスフレがお楽しみのマカオ料理が待ってたのでガマンしたワ。
世界遺産を巡る 6 [マカオ・開平]
聖オーガスティン教会(聖奥斯定教堂)
ここは初めての訪問でした。
横の聖オーガスティン広場も世界遺産。
1586年神学校として創設され、1591年にこの場所へ。
現在の建物は1874年のもので、内部はどちらかというと明るく軽いテイストでキュート。
広場向かいのロバート・ホートン図書館(何東図書館)。
ポルトガル人の住まいとして1894年に建てられたもので、
1918年、香港の大富豪ロバート・ホートン氏が別荘として購入。
氏の遺言により書物と建物が寄贈され、1958年から図書館に。
ドン・ペドロⅤ劇場(崗頂劇院)、
元男性倶楽部のゲーム場で、現オペラ劇場。
一般観光客が入れるのはここまで。
聖ローレンス教会(聖老楞佐教堂、風信堂)、
聖ローレンスとは風を読む聖人なのだとか。
1560年創建、現在の建物は1803年のもの。
聖オーガスティン教会にと似た雰囲気なのだけれど、
こちらの方がやや重厚な印象。
絵付けのステンドグラスがクラシックな雰囲気を醸し出しています。
今ではすっかりお化粧直しされてしまった感があるけれど、
以前訪れたときは、くすんだクリーム色の壁、石垣や柵、建物を取り囲む南国の木…、
何だか歴史ドラマを感じさせられる、一番好きな教会でした。
聖ヨセフ修道院及び聖堂(聖若瑟修院及び聖堂)、
こちらはオーガスティン広場側の修道院入口。
1728年創建で、現役の学校のため入場は出来ません。
聖堂は1758年に建てられたもので、ザビエルの遺骨の一部が祀られています。
入口は聖ローレンス教会の裏側をちょっと下ったところにあり、
実はこの二つが、かなり広い敷地内の地続きの施設だということは…たった今気が付いたとこだというw
(昔こっちの方は来なかったし、聖堂の方は聖ジョセフという別モノだと…)
以前来た時は聖堂も ↑ と同じような色にペイントされてたような気がします。
ドームがちょっと荘厳な雰囲気を醸し出し、ツイストした柱が何ともポルトガルちっく♪
…で、この色ガラスがまた妖しくて…。
アンティークガラスの流れが生み出す揺らぎが味わい深くてお好きだワ。
マカオの世界遺産は8つの広場と22の歴史的建造物。
何日かかかって8割程度回ったでしょうか?(外だけのところもあったし)
1日で網羅してしまおうというツアーもあるようです。
コロアネ島を巡る [マカオ・開平]
歩いても行けなくなさそうだけど、バスがある?
でもこのバスは行くのか…?
果たして料金の支払い方は…?
結局歩いて茘枝湾に面した小さな村へ。
聖フランシスコ・ザビエル教会(聖方濟各聖堂)、
1928年建立。元々は1903年に建てられた中国人子弟のための宗教系学校の礼拝堂なのだとか。
そのせいか、そこかしこに中華風の装飾が。
そればかりでなく、庶民的な飾りがとっても特徴的。
鄙びた漁村に立派な柱の図書館
付近の町並み
車の奥に見えているのが、川のような茘枝湾と中国本土。
ほぼ北端の安徳魯餅珈琲館から南端の譚公廟(航海の神を祀る)まで十分徒歩圏内の小さな村でした。
エッグ・タルト屋さんの面する広場にはバス停があり、
どうやらどのバスもここを通過するような。
マカオでのバス初体験でコタイ地区に向かってみました。
世界遺産を巡る 5 [マカオ・開平]
続けて聖ミカエル墓地(聖美基西洋墳場)、
以前行ったときは、キレイなところだけどお墓だし…と、写真を撮るのを遠慮したのですが、
新教徒墓地も世界遺産になってたことだし(世界遺産=観光地という訳でもないですが)…なんてね。
でも、よく考えたら、函館の外人墓地なんかでもバチバチ写真撮った気がするワ!
(綺麗で墓地というカンジがしないのでしよね)
馬忌士街(マーゲイシガイ)、
元々昔からポルトガル風の町並みが残されている通りとして有名だったけど、
すっかりお色直しされてました。
聖ラザロ教会(望徳聖母堂)、
1568年、初代マカオ司教が創立。
教会前の大瘋堂藝舍
モンテの砦、
中国名は思いっきり大炮台。
聖ポール天主堂側からはマカオ博物館に通じるエスカレーターで上れますが、
反対側の聖ラザロ地区側からアクセスしたので、
大炮台廻廊のエレベーターを利用させて頂きました。
この中で世界遺産なのはモンテの砦だけ。
世界遺産を巡る 4 [マカオ・開平]
ギア灯台(東望洋炮台)、
マカオで一番高い所ということだけど、錨が…。
灯台の横の聖母教会(聖母雪地殿聖堂)は昔は無人で写真も撮り放題だったのだけれど、
今は警備の人も居て、明るさを落とした照明やガラス板などで、しっかりと保護されていました。
松山市政公園と麓の二龍喉公園を繋ぐロープウェイで下山。
盧廉若公園(ロウ・リム・イオック庭園)
豪商蘆氏の元邸宅。
こんな石畳がお好き♡
春草堂、
蘆家の応接間だったとか。
昔は有料だったので訪れる人もまばらな静かな庭園だったのですが、
今は地元の人の憩いの場となっている様子です。
まだオープン前だったケド、前入ったからいいや、な国父記念館こと孫文記念館。
特に世界遺産に指定されている訳ではありませんが、
荷蘭園大馬路(オランダ通り)周辺には洋館が一杯。
澳門茶文化館
茶文化館奥の建物
塔石広場に面した澳門文化局
この辺りで残念だったのは禮記雪糕でアイスを食べようと思ったらまだ閉ってたこと(><)
世界遺産を巡る 3 [マカオ・開平]
意外なことに世界遺産ではないペンニャ教会(主教山小堂)。
航海の安全を守る聖人を祀っているのだとか。
1622年建立ということだけれど、1837年、1935年に建てかえられたあたりがその所以?
港務局、
元はマカオの警察部隊を補強するためにゴアから派遣されたムーア人兵士の宿舎だとか。
周辺には観光客…どころかひとっこ一人いなかったケド、世界遺産。
媽閣廟、
航海の女神を祀ったマカオ最古の寺院。
こちらは大賑わいでした。
世界遺産ではないけど、現ポルトガル領事官邸で、
昔はベラ・ヴィスタというホテル(写真上の建物)。
ポウサダ・デ・サンチャゴの次に泊まってみたかったホテルだったのに…。
(確か高級ホテルに改装されてさほど間を置かず官邸になってしまった記憶が)
世界遺産を巡る 2 [マカオ・開平]
タイトルやっぱり変えましたw
マカオのランドマーク、聖ポール天主堂跡(聖保禄大教堂遺址、通称・大三巴牌坊)、
ポールはパウロのことだったのでしよね。
1582年イエズス会により着工、
当時はアジア最大で、ウィキによるとヨーロッパの王族は競うようにして寄進したとのことですが、
主要港としての地位を香港にとって代わられるとマカオ同様凋落の運命を辿ることになったのだとか。
ファサードの制作には1600年代前半に迫害を受け追放された日本人キリスト教徒も携わり、
イエズス会の創立者たちや死神を退治するイエス等の彫刻が。
奥に進むと、天主教芸術博物館や、修道僧たちの遺骨が納められていた地下納骨堂を見学することもできます。
聖ドミニコ教会(板樟堂、玫瑰堂、バラ教会)、
1587年(当時のポルトガルはスペイン領)、
メキシコから来たスペイン人のドミニコ会修道士によって創建され、1828年再建。
バラの聖母像と呼ばれているとか。
博物館ではマカオの他の教会の遺物も含め、カトリックのお宝を見ることができます。
蘆家大屋、
広東省出身の豪商の邸宅。
細部のこういって感覚がなんかすっきー♪
セナド広場。
奥の民政総署大樓と左の仁慈堂大樓も世界遺産。
建物内の見学も出来るのですが、どうも両者ともオープンの時間帯が限られていて…。
噴水の中にポルトガル本国でもよく建築装飾のモチーフにされてる地球儀があって、
その大西洋上にポルトガルとスペインの勢力範囲を決めた教皇境界線が引かれているとか。
民政総署の中庭にはカモンエスの胸像が。
写真右側もジョアン・デ・デウスという作家?
こちらも世界遺産 1 [マカオ・開平]
なんか失礼なタイトルのような気も…。
好き好き大好き♡とはいえ、今槐はもの珍しさもあって、どうしても開平の印象が強烈杉たのでしよね~。
でも、こちらもしっかり世界遺産!
…とはいうものの、始まりは世界遺産ぢゃない八角亭。
これで図書館!
澳門陸軍倶楽部、
会員制の社交場として現役の施設なのですが、こちらのポルトガル料理レストランは部外者も利用できるとか。
南湾花園(サン・フランシスコ・ガーデン)
スペインのフランシスコ会の修道士たちが1580年にこの場所に建てた修道院と関係があって、
「カスティーリャ人の庭」との呼び名も?
園内にある第一次世界大戦におけるポルトガル人兵士戦没記念碑。
ここからは世界遺産の、大堂(主教座堂、カテドラル)。
司教区を代表する大聖堂で、
マカオカトリックの中心であるばかりでなく、日本を含め東アジア全体がその管区だったとか。
創建は1576年、現在の場所に最初の建物が建てられたのは1622年で、今の建物は1937年のものだそう。
聖ポール天主堂裏を抜けて、聖アントニオ教会方面へ。
通り抜けられてよかったー!な、マカオにはありがちな高低差のある生活路。
聖アントニオ教会(聖安多尼教堂、花王堂)、
庭には「1638」と記された十字架が現存。
マカオ最初の礼拝堂とも言われ、マカオの三大古堂の一つだとか。
[因みに他の二つは聖ラザロ教会(望徳堂)、聖ローレンス教会(風順堂)]
創建は1565年?1588年?
教会の前には「1638年建築,1809年焼失,1810年再建,1875年再度焼失,1875年再建」と記されているらしいですが、現在の建物は1930年に完成したものだそう。
わはは~、聖セバスティアヌスと思しき像が…。
教会とは道を挟んでこちらもなぜか世界遺産なカモンエス広場(白鴿巣前地)。
その奥にカモンエス公園 (白鴿巣賈梅士花園)があり、お年寄りたちが運動に精を出しておられます。
ルイス・カモンエスというのはマカオに滞在したこともあるポルトガルの詩人なのだとか。
隣接する元ポルトガル商人の邸宅で、東インド会社の施設としても使われたことがあるカーサ庭園はまだ開園前で、
地続きのプロテスタントのモリソン教会と墓地へ。
流石新教だけあってシンプル装飾で、ステンドグラスも聖書?
花王堂斜巷から果欄街を入ろうとしたのだけれど、
十月初五街まで行きすぎたみたい。
なので康公廟。
おまつりされてるのは関羽のよう。
ここはどこなんだ~~的に、ローカル色一杯の路地や道路に入り込んでしまったのですが、
最終的にはアルメイダ・リベイロ(新馬路)へ。
記憶にある風景を目にした時にはホッと致しました。
ライトアップ 2 [マカオ・開平]
大三巴街
恋愛巷からみた聖ポール天主堂跡
やってるの?ってくらいの控え目なライト・アップ
刻々とネオンのデザインを変えて煌めく半島側のランドマーク、グランド・リスボア
その麓
リスボアの賭場とホテル
ちょっと頑張って大人な雰囲気のウィンまで足を延ばしてみたのですが、
ホテル前の噴水ショウはお休み中でした。
ゴールドと赤を基調とした高級感いっぱいのインテリアで、
ぐるりとカジノも見学。
わたくし自分自身は絶対勝てる気はしないので、クラノスケをつっついてみたのですが、
しようとはしなかったワ。
totoやパチンコ程度なら人生で何度かしたことあるようだけど、
(なぜか横浜で二人でパチンコ行ったことあるけれど、二度目はダメって言われちゃったw)
トータルすると胴元が勝つように出来てるんだからとかなんとか。
「ビギナーズ・ラックで勝てるって」「最初は勝つよう出来てるって」と説得したのだけれど…w
(なんちゅー嫁?←責任転嫁でやりたい)
家訓という訳ではないのですが、ざ・博打だけはやらないゾみたいなのがあるようでし。
ライトアップ 1 [マカオ・開平]
初日晩御飯の後、そのままセナド広場周辺をうろうろ…。
観光客もジモティも、
昼間以上に町に繰り出しそぞろ歩いてるような印象です。
(昼間は目的地があって一直線というカンジなのだけれど、夜は食事をしたりお喋りしたり…)
セナド広場
マカオ郵政総局
民政総署
中庭はほとんどいつ行っても開いてたけど、図書館は3べん位行ったのにいつも時間外~(><)
仁慈堂右巷(仁慈堂横の路地)
ドミニコ教会
到着早々ぶらぶらして、あれもこれもって写真を取りましたが、
結局この辺りってその後も連日連夜繰り出してたような気がします。
佛笑樓3の夕餉 [マカオ・開平]
「佛笑樓3」というからには1も2もあるわけで、
1,2は半島側、3はコロアネ島にあります。
マカオ料理?ポルトガル料理??
ちょっと決めかねてあちこち覗いてみると、
マカオ・ポルトガル料理と書いてあるサイトもありました。
元祖ポルトガル料理レストランなのだけれど、こちらのお料理がマカオ料理として定着する元となったとか?
鳩のローストが有名らしいですが、
アフリカン・チキンも蟹のカレー炒めも、おススメの蝦もアサリも注文せず…、
サラダ、
野菜のスープ、カルド・ヴェルデ、
パンはあっさり、
シーフード・グラタン。。
で、でかい!
クラノスケがも一つ調子が良くないというので
ファミレスのようなメニューになってしまったのですが、
こちらでお目当てだったのはスフレ♡
写真を撮る間もなくウェイトレスさんが取り分けてくれた訳ですが
ご覧の通り、どデカ・スフレ!!
しかもこれでSサイズ!
となりのテーブルのいつも来てる風な中国人の中高年グループの方々もビックリだったワw
モチロン、完食~♪
マカオ&香港のランチ [マカオ・開平]
リスボア前の徳興火鍋海鮮酒家、
有名人気店らしいのですが、1階には看板しかなくって知らないとちょっと入りにくい雰囲気。
2階にあがると、中華風インテリアのロビーが広がり、明るい店内には円卓がいくつも並びます。
ランチの飲茶はプリントされたメニュー表に自分でチェックを入れるスタイルで、
クセのない日本人好みの味でした♪
奥に海鮮の水槽が。
クラノスケが不調だったのでお粥なんぞを。
確か海老シュウマイ?
スペアリブの蒸し物みたいの。
杏仁片炸鮮奶、
杏仁豆腐か牛乳プリンのアーモンド衣揚げってとこ。
千層糕、
中華カスタードクリーム挟み蒸し菓子?
帰りの香港空港内でランチ。
こちらでも筆談~。
排骨担々麺だっけ?
ショウロンポウ。
なんかデザートw
チャイニーズ・サパー [マカオ・開平]
初日到着後は上海料理店へ。
こちらでは、お茶を注ぐ前に器やお箸を濯ぐのが習慣だったようでしね。
排骨冷麺、
揚げものより麺の方があぶらっぽかったような。
どんなんかな?と、一度食べてみたかった銀絲卷(蒸)、
中華饅の皮だけみたいの。
蟹肉津白、
白菜の蟹肉あんかけってカンジ?
高力豆沙香焦、
バナナと餡子のメレンゲ包み揚げ♡
アツアツフワトロ。
ちょっと待たされたケド、
お客は家族連れに学生サークルみたいな子たちや、カップル、OLお一人様…、
小ざっぱりした構えで、ジモティ対象な印象の割には入り易いお店でした。
2日目の夜も中華。
表に水槽のあるような海鮮料理店で、網ですくってもらってるお客さんもおりました。
プリンの揚げ物炸鮮奶、
デザートと思われるのだけれど、初めの方に出てきたし、キャベツ敷いてあるし?!
お手頃フカヒレ
牛肉と平打麺炒め
帆立とブロッコリー炒め
こちらもジモティで賑わう前夜よりは更にローカル色の濃いお店でした。
(実はお目当ての店は周辺に人が溢れるくらい待っていて、こちらはタイミング良くテーブルが一つ空いていたってカンジ)
これは虫入りだよ~、やめといた方がいいよと材料の絵を描いてくれたり、
こっちを頼むならこっちがオススメってカンジで
気さくなおじさんウェイターが応対して下さいます。
(書いといてって紙とペン渡されたけどw←日本人はこれが確実)
フツウに美味しかったのですが、
なにぶん二人だとお残ししちゃうことに。。
でも、開平でのガイドさんが言うには、
平らげると用意した分では足りなかったのか?!と、相手を驚かすことになるので
残すのがマナーなのだとか。
なのでそんなに気にしなくてもイイかも??
マカオ・スウィーツ [マカオ・開平]
緑ベースに白黒の牛の看板で有名な「義順鮮奶公司」のプリン。
牛乳プリンと、
卵プリン。
冷蔵庫にもずらりと牛乳プリンが。
卵プリンは1割程度でしたでしょうか。
他にも小豆を載せたのとかメニューにはバリエーションがあるようで、
観光客や地元客で賑わっておりました。
隣のテーブルは何度か来てる風なおじさんグループだったのですが、
わたくしたちの卵プリンを指さして「あれはなんだ?」的なことを店員さんにきいてらしたワ。
ほんっとに牛乳プリンがスタンダードなのでしょうね。
あちこちにジュース・スタンドも。
ここのは地味だったケド、
カット・フルーツを盛ったのとかもあるようで。
前も載せたケド「澳門珈琲」のエッグ・プディング、「ティジェラダス」。
左側、「金船餅屋」のライス・プディング「アローシュ・ドース」。
同じ日に二度も行った「金船餅屋」のセラドューラ。
砕いたビスケットとクリームが層になってるポルトガル菓子なのですが、
こちらもかなりレトロな風合い。。
クラノスケが頼んだエッグ・タルト。。。
言わなかったケド、
なんでここで頼むかなー、、と。
というのも、マカオではエッグ・タルト戦争とでもいうか、
どういうわけか、観光客が血眼になって有名店のエッグ・タルトを買い漁ってるようで、
いくつかの有名店の中でも特に凌ぎを削っているのが、
マーガレットとアンドリュー。
ところがセナド広場やシントラ近くのマーガレットこと「マーガレット・カフェ・ナタ」、
三顧の礼を取ったにもかかわらず(?!)、とうとう口にすることは叶いませんでした。
一回目は営業時間外でした。
二回目はガイドブックに載ってたのとは時間変更されていて、
三回目は押すな押すなの大盛況開店中で長蛇の列。
一方のアンドリューこと「安徳魯餅店(ロード・ストーズ・ベーカリー)」はあの辺鄙なコロアネ島。
(あちこちに小さな売店はある)
ぶらぶらしてたら、お店の前にタクシーが停まったかと思うと
バラバラッと二十歳代くらいの男の子たちが降りてきて、お店の前で記念撮影!続けてご購入。
中国からの観光客(?)にもすっごい人気のよう。
すぐ近くの姉妹店「安徳魯珈琲店(ロード・ストーズ・カフェ)」の方で、休憩することに致しました。
せっかくなので本場の味を…
…って、道頓堀の味だワ!w
(関西各店舗の他、日本各地の催事場、ネットでも買えるようです)
マカオの朝食 [マカオ・開平]
ポウサダ・デ・コロアネの朝食はふっつーのシンプルなビュッフェでした。
前半泊まったシントラは、ありゃ、朝食付きぢゃなかったのねん?
こちらは自己手配ではなくパッケージ・ツアーだったので勝手に朝食が付いていると思い込んでたのでしたが
フロントで朝食についての説明がなく、
改めて日程表を見てみると機内食以外食事は皆無だったという…。
シントラの利点は中心地に近いということで、
行ってみたかったカフェもいくつか。
いつ行くか振り分けるのに困難すら感じていたぐらいだったので、
これ幸いとばかりにカフェでの朝食も楽しみの一つとなりました。
1日目~、
とりあえずマカオ名物ポークチョップバーガーを食べてみたかったので「西湾安記珈琲室」の支店へ。
飲み物は小豆入りのミルクだっけ?
パンがアツアツで、外側サクサク・中身モチフワ~♪
中身のポークチョップはどちらかというとスパイシー杉な印象でした。
2日目~。
開平へ行く日は早発ちだったので、残念ながら前夜に買ったものをホテルで。
確か「美心西餅(マキシム)」というベーカリー・チェーンの。
どうやら香港・マカオでは「西餅」ってパンやケーキ…つまり洋菓子のことをいうみたい。
「餅家」で「ベーカリー」?
マカオのバースデーケーキってホント、カラフルにデコレートされててかわいかったでしよ。
3日目~。
「カラベラ」、漢字だと「金船餅屋」。
なんだか大正時代の抒情歌集でも連想してしまいそうな…。
お店のインテリアもお菓子も、
とってもオールド・ポルトガル・スタンダードってカンジで
なかなか味わい深いものでした。
アロース・ドーセ(ライス・プディング)
なんともレトロな風合いのココナッツ菓子
チョリソ入りパン
ヴェネチア~ン♪&コタイ [マカオ・開平]
エンター・テイメント・シティ、コタイ地区にそびえるパチもんというにはあまりに豪華な
テーマパーク風巨大カジノ・リゾート、ザ・ヴェネチアン・マカオ。
ホテルのフロントに香港行きのフェリー・チケットを買いに行ったのですが、
(24時間発券出来るらしい)
折角の機会だったので中も見て回りました。
ラスベガス資本で、なんというか…、賭場からの上りがメインなもので、
ホテルや送迎バス、レストランやショウも付随サービスというかもはやおまけ?
豪華な割にはホテルの宿泊費も抑えられ、
フェリー(とはいえ、イミグレ付き)すらもコタイ地区へのカジノ客誘致のために
グループ資本で新設したってカンジでし。
(今ちょこっと他所を覗いたら、前からあったフェリーはリスボア系とかで、もともとそういうもの?)
ショッピングやレストラン街では屋内にヴェネチアの町が再現されており、
運河をゴンドラが行きかいます。
賭場の外で急に始まったダンス。
クルーが撮影してたから、外の運河でのゴンドラはこの時だけだったカモ。
とにかく広いー、デカイー!
そしてこれが賭場。
館内は大陸からの家族旅行客でひしめいてるような状態で、
カジノにショッピングにエンターテイメントに…、
家族それぞれ楽しめるようになっているのでしょうね。
無料バスがあちこち運んでくれるので、ついでに周辺も。
ギャラクシー。
わたくし的には一番キレイにライトアップされてたような気が。
サンズに居た壺の美女
クラノスケに教えてあげると「可哀相~」って。
わはは、動けないとでも思ったようです。
ひょっとしたら「西太后」の映画のイメージがあったのかも。
もちろんスカートは陶器ぢゃないし、
ちゃんと自分で動けるそうです。
と、ここまで書いて〆たつもりだったのですが…。
ヴェネチアンやサンズを運営してるラスベガス・サンズって…、
えっ、あのマリーナ・ベイ・サンズ(シンガポール)と同じサンズ!?!?
へーっ、へーっ、へーっ、
去年はシンガポール旅行記でこんなこと書いておりました。
http://casa-giallo.blog.so-net.ne.jp/2011-09-01
>マリーナ・ベイ・サンズはカジノやオシャレなブランド・ショップ、レストラン、劇場なんかが併設されたホテル。
>ショッピング・エリアには運河がめぐらされ、舟での遊覧も。
>これってマカオのパクリぢゃ?
>(いえ、今世紀になって行ったことはないのですけど、カジノとかゴンドラとかイメージがダブって…)
あらあら、
おんなじところがやってたのねんw
一応タイル [マカオ・開平]
タイルに目覚めたのはマカオでした。
白地に紺のアズレージョ。
でも、当時はどこで買えるか情報が皆無で、
お土産物屋さんを覗いてもカラフルな鶏(ガロ)の絵の小物程度…。
結局初購入は日本のポルトガル・アートセンターでした。
その後本国でも沢山の中から気に入ったのを選んだりしてアズレージョ熱も沈静化し、
関心は他のマジョリカ・タイルなんかにも移行したりもしてたのですが。
今回も一応お土産ということで、プリント・タイルなんぞを。
並べ方を変えるとこんなカンジ。
予定では裏にコルクを貼って鍋敷きにするつもりでし。
西美斯国際貿易有限公司というタイル屋さんで、
手描きタイルに関しては、店頭に並んでるのはお土産用みたいなのばかりですが、
本格的なのもカタログから選んでポルトガル本国から取り寄せてもらえるようです。
どちらかというと地元のプロ向けのお店といったカンジ。
そしてもう一つ、
残念ながら購入は断念という選択しかないのですが、
もし、機会があるなら是非わが家に…と思えるくらい
興味津々だったのが敷石…!
こちらもポルトガルから輸入された5cm角ぐらいのサイコロ状の石なのですが、
これでモザイクのおっきい判のようなカンジで、
カルサーダスという、絵や幾何学模様の描かれた石畳が造られます。
もちろんポルトガルが本家なのですが、
マカオでも広場や舗道のあちこちに。
店番は女の子なのですが、
80歳を過ぎてるというおじいちゃんが出て来こられてニコニコと応対してくれます。
(「〇球の歩き方」にも紹介が)
かつては施工には、わざわざポルトガルの職人が招かれたそうですが、
今はこちらが一手に引き受けてらっしゃるようで…、独占企業?
なので、以降はカルサーダスを見るたびに
これもおじいちゃんとこの仕事?これも?これも?
といった具合に、盛り上がっておりました。
(よく考えたら初期のはポルトガル人によるものだったので全部という訳ではなかったのでしよね)
ポウサダ・デ・コロアネの晩ご飯 [マカオ・開平]
ポルトガル料理では定評のあるポウサダ・デ・コロアネ。
宿泊客以外でも食事に来られるお客様がいるようで、
ワインを傾けるにはなかなかの場所のようです。
(こんな時、飲めないことが悔やまれる。。)
気候が良ければ外も気持ちがいいものでしょうね。
残念ながら炭酸水。。
生ハムメロンは傘付き。
ポルトガル料理の特色は盛り付けが大雑把なこと?!
アフリカン・チキン。
なんでアフリカかというと、アフリカのチキン料理をベースに
大航海時代ポルトガルが新旧大陸各地の植民地から運んできた
香辛料やナッツ・野菜類を配合して作ったソースでアレンジされたからなのだとか。
デザートのフルーツ盛り合わせ。
実は一旦前菜と同じころ運ばれてきて、これがマカオ流?と驚いたものですが、
(中華料理店ではフツウにデザートに分類される品も料理と同じタイミングで運ばれてきたのでしよ)
単に新入りの子のミスだったようで、
先輩に諭されていたとか?(目撃者談w)
ポウサダ・デ・サンチャゴの午餐 [マカオ・開平]
むか~しむかし泊まったポウサダ・デ・サンチャゴ。
以前のブログから。
>こじんまりとした落ち着いたステキなホテルでした。
>建物は海に面したちょっとだけ崖の上みたいなところにあります。
>洞窟に入るようなかんじで、壁に滝が流れる階段を上っていきます。
>ホテルの一角にはチャペルもあったりします。
※ ※ ※
懐かしくてランチに行ってまいりました。
ホテルのエントランス、
テントの右下に見えてるのが画像一番上のアズレージョ。
昔は城砦だったので、大砲が残されています(アズレージョの下辺りに記念碑的に)。
昔の写真二枚目とは反対側のアズレージョ。
洞窟の様な階段(上から)。
変わらないと思ったけれど、シャンデリアがなくなって足元燈になってるワ。
これが滝の流れる壁。
チャペルまでは宿泊客で無くても入れます。
涼しくなったらこちらでウェディングもいいでしょうね♪
暑い日中、飲み物はもちろんガス入り炭酸。
セット・メニューをお願いしました。
最初に出てきたのはあっつあつのパン。
くるみ?と思ったら…、
チョリソらしきものがいっぱ~い。
高カロリーっぽかったケド(しかもオリーブ・オイル付き)、やめられない美味しさ♪
頭悩ますのイヤだったから、事前に翻訳サイトに放り込んだメニュー持って行ったワw
(もひとつヘンな訳だケド)
クラノスケの選んだ「サクサクマンチェゴチーズのサラダ&イベリコハム」
わたくし「主演アニス、サフラン&オレンジ風味のシーフードスープ」
最初にシーフードのみが置かれ、一瞬何オーダーしたんだっけ??と考えました。
スープを注がれあぁそうか…と。
「炒めフォアグラ&卵のミルフィーユ」
「ウニサンゴソース添えサーモンの最高」
な、なんか夢の膨らむ表現なのでしよね。。
鮭は鮭だったワw
続 マカオのホテル [マカオ・開平]
前回はざっと見て回っただけなので
キチンと地図が頭に入ってたわけではないのですが、
昔海だったところが陸に。
半島部分でも南東側の新しい埋め立て地が新しい観光スポット。ふむふむ。
タイパ島とコロアネ島(南端)がくっついてしまって、
両者をつなぐ埋立地がコタイ地区。へーっ!
実はマカオの面積みくびってました。。
(ウィキから拝借)
現在と1990年代(右)のマカオ地図
コロアネ島(つかタイパ島もいっしょくた)、
陸続きということでなーんか簡単に行けると思い込んでおりました。。
今回改めてメイン国土の半島部分って何度かに分ければ十分歩けない距離でもないと判り、
島なんか半島部分のオマケみたいなイメージで、なのできっと小さいと…。
(殆どの地図で、半島部分と島部分が別々のページに違う縮尺で掲載されてたしっw)
半島の果てと思っていたポウサダ・デ・サンチャゴが
実はシントラから徒歩圏内だったこともあって、
イメージがかぶるポウサダ・デ・コロアネも、
位置的にも存在的にも、
島部の「リニューアルされてないポウサダ・デ・サンチャゴ」程度に思ってしまったのでしよね~。。。
昔泊まった時のポウサダ・デ・サンチャゴ
こっちはコロアネ。
うむむ、
昔のサンチャゴのインテリアと似てたんですけどね~。
ポウサダ・デ・サンチャゴと
ポウサダ・デ・コロアネ、
比べるものではなかったようですw
距離だけではなく、
片や制服スーツ。
(サンチャゴの従業員ってセレブ相手のプロ中のプロ?)
片や制服Tシャツ。
でもお風呂はジャグジー
アズレージョの腰壁もキレイ♡
プールもウェルカム
レストランもこんなカンジ
マカオのホテル [マカオ・開平]
マカオ最初の3泊はシントラ。
数年前までマカオのカジノ経営権を独占していたリスボア系のシティ・ホテル。
現在でも胴元としての権勢は依然衰えず、
2003年には、マカオ政府の歳入の3割を、元締めスタンレー・ホー氏からの税収が占めたとか。
ラスベガス系のカジノが進出するなか、
リスボアはディープな玄人向け、
グランド・リスボアはラグジュアリー・カジノ・リゾートとして人気を博しているようです。
(ちょこっと見たグランド・リスボアの画像って、客室は豪華でシックな不破じいの好きそうなインテリアでした。
因みに、ホー氏の第三夫人は看護婦。。)
ホー氏が美食家なこともあって、リスボアやグランド・リスボアには
ミシュラン星獲得店も含め有名レストランがいくつも入ってるのに対し、
シントラはホントに泊まるだけw
(一応レストランはあったようだけど)
エレベーターも二基しかないし、フロント小さいし。
でも、一番の利点は街の中心・セナド広場に近いこと♪
とってもシンプルなホテルでしたが、
過不足なく快適に過ごすことが出来ました。
後半の二泊はポウサダ・デ・コロアネ。
シントラでタクシーを頼むと、地の果てにでも行くかのような驚き方されたワw
コロアネ島、昔はホントに島だったのでしよね。
今でも島といえば島なのだけど、タイパ島とも陸続きになったし、
マカオ半島とは3本の橋でつながっていて島という実感が…。
それでも、ラスベガス資本の巨大ホテルが並ぶコタイ地区を過ぎると
なんだか景色が寂しくなってきて、
そう、ちょうど日本の田舎の片隅の、町からは一山越えて行く
企業や公営の保養所か家族経営のホテルしかない海水浴場のような様相…?
ちょっと物悲しくもありーの、コンビニはないのか?状態に。。
ま、まぁ、目的はのんびりすることにあったのですけどね。
ウェスティンの看板みたときちょっとほっとしたものだワ。
なんだかわたくし、こういうところに来ると
宇宙に一人的「寂寥感」感じずにはいられないことが…。
(例えば露天風呂なんかで満天の星空なんか眺めたらあまりに悠久杉て、自分が時間的にも空間的にもただ生まれては死んでゆくだけのホントに小さな小さな存在に思えてなんだかちょっとコワイ~)
とは思いつつも、最初の部屋のジャグジーが水漏れでお湯を張れないというトラブルがあったり
(部屋は替えてくれたケド)
夕暮れの景色や美味しい晩御飯を楽しんだりしてるうち、
折角なのだから南欧ちっくなこの宿を楽しまなくてはという気もわき上がり…、
車用エントランス
自分の中ではえせ・アマルフィw
夕暮れのタオルミナ?w
夜明けのカプリ島?w
♪か~え~れ~ソーレーントへ 帰れよ~~
しっかり教育のなされた接客のプロがひしめく観光立国マカオのコタイや半島の大手ホテルに慣れると
ギャップを感じずにはいられないホテルではありましたが…。
明日に続く~
今年はマカオ [マカオ・開平]
前回マカオに行ったのは…、
えーっと、確か返還前。。まだポルトガル領の頃でした。
その時の第一目的は、
ポウサダ・デ・サンチャゴに泊まること♪
http://casa-giallo.blog.so-net.ne.jp/2007-06-27
観光は2時間程度タクシーを借り切ってぐるぐる回ってもらい、
その後セナド広場周辺をちびっと歩いたぐらいのものでした。
暇そうにぶらぶらしてる人がやたらと目立つ胡散臭げな街という印象でした。
うーん、両替に銀行なんかに行くと、それこそ周辺に目を光らせてないと油断出来ないような
雰囲気があったような。。
でも、街並みとしては当時の薄汚れたようなカンジが好きだったかな~♡
まぁ本国ポルトガルも大概なものでしたが、
昔日の繁栄ぶりを伝えつつも歴史の大舞台からは退いて久しい
マカオとポルトガルのノスタルジックな風景が
そしてまったりとした時間の流れ方が
きらいぢゃないというか…お好きだったりします。
とはいうものの、
公共交通機関での移動がしにくい+無職&博打うちが群れる土地柄というイメージ、
主要観光地は回ったからいいやみたいなのがあって
足が遠のいていたのですが、
開平への拠点として一番便利そうな気がしたのと、
世界遺産になったということから整備されて観光し易くなったような気がして
じっくり見て回りたくなったことから、
20年近くぶりに訪れてみることにしました。
あ、そうそう、
マカオに興味を持ったのって、
やはり最初はこれがきっかけでした。
写真をみた鉄ヲが言ったワ。
「はりぼてやんっ」
背景にあるドラマチックなストーリーを思い描いたり(妄想したり?)することはないのかっ?
歴史のうねりに翻弄された一人の日本女性の悲劇に思いを馳せたりはしないのかっ?(いや、そんな人いたってきかないケド)
う~~~ん、
おそらく創建当時の姿をとどめていたら、それほど惹かれることはなかったでしょうね。
ファサードだけを残した姿が返って想像をかきたてるような気がします。
廃墟萌えの親類のようなものかと。
あ、思い出した!
それより以前マカオに興味を持ったのは…もっと昔々、
「アンアン」に載ってた男女のモデルが大砲のところで撮影してた写真だワ。
立ち読みで済ませたのが、やっぱ買おうっ♪と思い直したところ、
風邪で寝込んで治ったときにはもう次の号が発売されてたという…。
あの頃はひ弱な少女どした。。
マカオ 一人飯 [マカオ・開平]
ついでなんで、開平からマカオ到着した日の晩御飯を。
「悪いけど、一人で飯行ってきて~」(ヘロヘロ~)
ありゃお気の毒に。。
どどっとベッドに横になったクラノスケを置いて、ポケットに何枚か札を入れて夜の街に出掛けました。
新婚さん♡なら一食ぐらい一緒に抜いたかコンビニへでも行ったでしょうねw
ホテルの立地が便利というのはこんな時助かりますです。
キホンわたくし旅行中はお金や貴重品は持ちません。
(パスポート&お金班とパッキング班で完全分担)
なのでちょっとドキドキ。
現地のお札見慣れないし。
やっぱスリとかひったくりコワイし。
一人でも旅行出来るしっかり者とは思っていても、
こんな時だけはクラノスケいてこそのわたくしなのだとちょっとキンチョー。
手近なところで麺類を食べることにしたのだけれど、
一軒目は定休日~。
(海老と海老の卵をからませた麺っつーのを食べてみたかった)
なので第二候補のこちらへ。
牛肉の入った汁麺。
シコシコ卵麺でした。
あっさりしててこれはこれで美味しかったですけど、この時気分はこってりを求めてたのでやや期待ハズレ?
因みに牛バラ肉の入った汁麺で今まで一番美味しかったと思うのは
台北の故宮博物館併設のセルフサービスの食堂(だったと思う)でした。
ついでだったので澳門珈琲にも寄り道。
名物ティジェラダスことエッグ・ケーキ&アイスコーヒー。
メニューを見ずに注文してから、はて、お金足りるんかいな?と不安に。。
そう、麺だけ食べて帰るつもりだったから、麺には十分だったのですが…。
皿洗い…?
そういやその昔、ホンコン・マカオって借金のかたに売り飛ばされる先の代名詞のようなとこだったワ~(爆・なぜかそんなイメージ~w)。
幸いなことにお金は足り、
コンビニでクラノスケに頼まれた飲み物をなんとか買うことも出来ました。
心残りなパチモン [マカオ・開平]
以前のブログでこんなことを書いとりました。
http://casa-giallo.blog.so-net.ne.jp/2011-05-26
>字ばっかりだった左(上)の本、
>掲載されていた数少ない挿絵の一つがこちら。
>おや、これは、円明園?
>カスティリオーネの庭の図?
>北京旅行の記事、すっかり中断したままになってるけど、
>ここと思っていいのかしらね?
・・・中略・・・
>ともかく、
>ほえーっ、こんなだったのねと、
>嬉しかったわたくしでし。
それより前の紹介記事。
http://casa-giallo.blog.so-net.ne.jp/2010-12-22
>円明園、
>実は北京で一番行きたかったとこ。
>昔々「西太后」の映画を見たとき、
>西洋人の軍隊による離宮破壊シーンがあって、
>西洋風の石の彫刻群に
>「こ、これはなにっ?これはどこっ?」と思った覚えが。
>「タイタニック」のラスト近くぷかぷか浮いている彫刻のある板切れというか家具の一部同様、
>非常にリアリティがあって感心したのですが、
>実際に遺物として存在してたということがわかり、興味が。
※ ※ ※
北京の「円明園」、
そのメインは西洋風の建築群の遺構。
ほとんどが破壊され、石材がそのまま放置されている廃墟や、本の挿絵を
在りし日の優美な姿を想像するよすがとするしかなかったのですが…。
はぁ?「円明新園」となっ?!
http://www.ymy.com.cn/
どうにもホンモノに比べると一段低く見がちなテーマ・パークですが、
たとえパチモンでも、円明園を再現してくれてるとは、こりゃ是非
見てみたい…!
HPから
しかも、夜のショウではユニバーサルスタジオを凌ぐ(と思われる)火薬量で
ドッカンドッカンと大砲が水柱をあげる戦闘シーンが繰り広げられるそうで…。
うはは~、わたくし派手なエンターテイメントがお好き♡
これがどういわけか、北京を遠く離れた珠海にあるということで…。
しかもマカオ国境から車で10分ぐらいのところ。
何度も国境越えするの面倒だから、開平の帰りに降ろしてもらおうよということになってたのですが…。
さすがにクラノスケが不調とのことで諦めることにいたしました。
ガイドさん曰く、出演者のキレイなおねーちゃん達とも写真が撮れたり
一度は行ってみる価値のあるとこだったようなのですけどね。
こちらは次回への課題というか持ち越しということで。。
(次回があるのか?!)
ということで、一路マカオとの国境、拱北(ゴンベイ)へ―。
さて、これが…、
噂通り、朝の湾仔とは大違いの押すな押すなの混雑ぶり。
ガイドさんとの別れの挨拶もそこそこに、人の波にのり、出国審査へ。
湾仔での入国審査のとき、テキトーだったものだから、カードの半券未記入だったワw
外国人レーンの殆どは中国人。
そこを通り抜けてもまたマカオでの入国がありまして、
その間を徒歩で移動する訳ですが、結構長い…。
入国審査さえ済ませれば、
賭場に向かう無料シャトルバスが待機していてあとは楽だったんですけどね。
(シントラ行きはないのだけれど、同じグループのリスボア行きで、後は乗り換えるなり歩くなり)
地図があって晴れていればさほどのことはなかったのでしょうが、
まあなんというか、
充実感を得ることのできた楽しい小旅行でございました♪
と、〆たところで、
昨今の中国情勢…、
テレビに映し出されたパナソニックの工場って、しっかり見憶えのある建物でした。
やっと来た?金宏楼 [マカオ・開平]
茫漠たる草原の中に佇む碉樓(ディアオロウ)―
やがて草木に覆い尽くされ、朽ち行くであろう姿を前に
馬賊が走り抜けた時代に思いを馳せれば…、ウソウソ、
すぐ近くに集落、民家が…w
こちらも例に漏れず、かつては村の防衛の要となっていたのでしょう。
場所は福和里。
これが…、グーグルの地図にも載っていない村でして…。
あやふやな記憶なんですが、
多分、こんなカンジの位置関係だったと。
広範囲の地図はこちらにも。
http://zokubarobeya.blog.so-net.ne.jp/2012-08-31
http://zokubarobeya.blog.so-net.ne.jp/2012-08-31-1
ここまでは車も入れた沃秀村(帰り際撮影)
第一村人のおばあちゃん発見。
「ここが沃秀村ですか?」
「そうや」
「福和里へ行きたいのですが」
「この道道なりにずっと行ったらええわ。歩いて20分程かかるでぇ」
てな具合でしたでしょうか。
(もちろん中国語は判らないので想像)
池に沿って背より高い草や低木が覆いかぶさってくるような畦道を、
轍の水たまりを避けながらひたすら前進、前進、前進。
見え隠れする溜池からはカエルの鳴き声が響き、
家畜(家禽だったかも)小屋らしきものもあちらこちらに。
うぅっ、最後の方は水たまりに足を入れずには歩めなかったワ。
(というか全体水浸し?)
残念ながら一番の萌えポイント、
蔦が絡まるかのように、楼の側壁を這い上り、
忘れ去られた廃楼であるかの様相を演出していた、幾本かの木は
キレイサッパリ伐らていましたが、
楼の放つ異様さに、これが金宏楼と確信。
(もう違っててもそういうことにして~って心境ww)
福和里の碉楼
福和里集落
魔的自力村 [マカオ・開平]
こちらも加工してみました。
多分に妖しい雰囲気が醸し出されているような気がするのですが…。
個人的にはヴェトナムっぽい?
個人的にはベル・エポックな着色写真風
これもかなりのお気に入り。右側が明らかに傾いてるのもイイ♪
アンティークのオークションにでも出てそう?
何風というのだろう。。
こちらもアンティーク仕様w 水田がなかったらヨーロッパの版画のよう。。
うぅ~ん、妖しいゾ? クラナッハやボッシュの絵の背景にでもなりそうな…。
昔のプリントみたい♪♪
最後のなんてどれか一つを選ぶなんて出来ませんでした。
うっひゃーな仕上がり♪
厚手の光沢のない紙に印刷して額に入れたい気分でございます
これが自力村 [マカオ・開平]
自力村とは…これまた色気もそっ気も無い名前。。なんて思っていたら気…いや、毛、
毛沢東のスローガン、なんちゃらかんちゃら(忘れた)に因るそうで…。(今調べたら「自力更生」らしい)
「がーんばって働いてこーんな立派な楼閣建てた誉れ高い村」みたいに理解したのですが、
建ったの出稼ぎのお陰だし。西洋かぶれの印象否めないし。
楼が沢山建ったのは毛時代より以前だから、
命名には苦肉の大人の事情とかあったのかもなんて見方をするのはわたくしだけ?
雨に曇る村落。
晴天のときよりイイ感じだと思う~。
いくつかの楼は内部見学可。
写真は御主人と三人の奥方たち。
(当時、一夫多妻は合法だったらしい)
どこかの楼の入り口。うーん、チャイニーズ・アール・ヌーヴォー?
水田、池、楼閣、薮、あぜ道がモザイクのように広がります。